パ紋の個展の図録による本人の略歴
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愛知県の度を超した田舎の農業高校を卒業と同時に芸人を目指して吉本の大阪 NSC(11期生)に入学。同期には、ケンドーコバヤシ、中川家、陣内智則、ハリウッドザコシショウなど。当時の心斎橋筋2丁目劇場のスタッフしか笑わないようなネタをしていて芸人として芽は出ず、劇場のスタッフとして働く。4コマ漫画など蛭子能収に憧れて漫画誌『ガロ』に持ち込みを数度するが、これまたパっとしないまま、劇場スタッフとして働いていた。そこで出会った当時デザイナーであった狩集広洋(現在はアーティストとして活動中)にデザインのいろはを学び、1993年4月から1996年11月まで、2丁目劇場のフリーペーパー『WA CHA CHA PAPER』にて、漫画やコラムなど執筆。1997年にパルコアーバナート#6に「ウサギは三度餅をつく」という5秒のCGアニメで入選。以後、グラフィックデザインやイベントでの映像、テレビ大阪の番組『吉本超合金』などの番組のタイトルCGやロゴなどを制作。また、同期の陣内智則のネタの映像も手掛ける。 ツイッター(twitter ID@haradasenmonka)のアイコンは2010年に放送されたNHK連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』の最終週、青木俊直などの漫画家がアイコンをゲゲゲ化仕様にしていたのに乗じたまま現在に至る(個展での図録参照)。
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