パリ万博への出展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/13 02:35 UTC 版)
「ジョゼフ・モニエ」の記事における「パリ万博への出展」の解説
モニエは1867年のパリ万国博覧会に金網入りの植木鉢を出品した。7月16日にはシュロを植えるための「鉄で強化した園芸用の桶」で最初の特許を取得した。これによってモニエの手法は世間に広く知られることになった。 モニエは鉄網入りのセメント材の用途を次々と考案し、さまざまな特許を取得していった。「管と鉢」(1868年)、「建物の外装用の羽目」(1869年)、「橋」(1873年)、枕木(1877年)、「梁」(1878年)などである。1875年には、モニエの設計によって、シャズレ城 (Château de Chazelet) に世界初の鉄筋コンクリート製の橋が架けられた。モニエはほかにもさまざまなものに鉄筋コンクリートを使用する奇抜なアイデアを出し、「鉄筋コンクリート製の棺」まで考案した。1880年には鉄筋コンクリートの耐震家屋を試作するに至っている。 しかし、モニエ自身は、コンクリートと鉄の組み合わせがどうして強度が高まるのか、その原理を理解はしていなかった。モニエが取得した特許の中でも、そのメカニズムについては説明されておらず、具体的な強度は直感に頼っていた(それでも当時、鉄筋コンクリートで建物を作るには、モニエに特許使用料を支払う必要があった。)。 そのせいで、モニエの特許を直接的に建築に応用するのは難しく、当時、急速に成長していた建築業で本格的に採用されるに至らなかった。モニエは商業的な利益を手にすることがないまま、1906年に没した。その死因はよくわかっていない。
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