パリロケ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 10:22 UTC 版)
序盤の主要舞台であるパリでのロケは、放送前年の1979年(昭和54年)9月に20日間行われた[要出典]。これは史実のパリ万博に江戸幕府と薩摩藩の両方が参加しており、その描写で日本国内の状況を示せるという近藤晋の意図によるものである。 当時、パリ総局長だった磯村尚徳がフランス国鉄に撮影許可をとっていたが、ロケ現場のパリ・リヨン駅の駅長が撮影前日になっても許可せず、交渉の結果、午前中のみの撮影、一般乗客を大写しにしないこと、人の整理はNHKでやること、トラブルを起こさないこと、などを条件に撮影が許された[要出典]。このリヨン駅の場面は、実際の列車に扮装を付けた俳優を乗せて下車させ、(撮影時の)現代の一般客がいる中を歩く形で撮影されている。それらの一般客はほとんど俳優たちに注意を払うことはなく、人の整理を危惧したスタッフは不思議に思ったという。「現代のパリの駅を幕末の人物が歩く」演出について、チーフディレクターの清水満は、実際に当時のフランス人が抱いたであろう日本人(侍)への違和感を強調する意図があったと述べている。 コンコルド広場で馬車を走らせるシーンのときは、撮影許可時間が午前6時 - 8時だったが、午前6時はまだ暗く、ようやく8時から始めた撮影では、観光バスが来るとストップと書いたプラカードでスタッフが止めようとしたり、パトカーが来ると50フランと記念品を渡して見逃してもらうなど苦労が多かった[要出典]。 パリから南へ500キロのビバレー鉄道でSLでの撮影では中国人に間違われたという[要出典]。
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