バルトライヒの決戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 16:46 UTC 版)
南ベルカのバルトライヒ山脈沿いに位置するスーデントールではベルカ軍が徹底抗戦を繰り広げており、この戦いはバルトライヒの決戦とも呼ばれている。この地でベルカ軍の主力となったのは灰色の男たちであり、南ベルカ国営兵器産業廠の工場に眠っていた完成前で未塗装の兵器を用いて抗戦した。6月5日、スーデントールを包囲していた連合軍は3個軍を残して転進し、バルトライヒ山脈の細い退路に苦慮していたベルカ軍の追撃に当たった。 6月6日、連合軍のウスティオ空軍第6航空師団はスーデントールに残るベルカ軍の排除を目的としたラヴェージ作戦を開始した。一方で、ベルカでは核攻撃を主張する強硬派の主導でBm-335爆撃機とその護衛機が出撃し、ウスティオ領へ向かう進路を取った。連合軍司令部はこれをウスティオへの核攻撃を担う爆撃機であると判断し、スーデントールに向かっていたウスティオ軍機にこれを緊急伝達し迎撃に当たらせた。実際には核攻撃の情報は欺瞞であり、この情報は連合軍だけでなくベルカ軍内の反核攻撃派も騙したものであった。反核攻撃派はMiG-31戦闘機からなる部隊に爆撃機を追撃させ、核攻撃派とウスティオ軍機が交戦する中に反核攻撃派も突入するという三つ巴の様相を呈した。結果的に爆撃機はウスティオ軍機により全機撃墜され、後に調査された結果として爆撃機の残骸から核兵器は発見されなかった。 この戦闘の最中、ベルカ軍はバルトライヒ山脈に沿って7発のV1戦術核兵器を炸裂させた。5発はスーデントール近郊やシュティーア城近辺などの南北ベルカを隔てる地点、1発はウスティオ国境付近、1発はレクタ国境付近であった。この核爆発で北ベルカとを接続する7つの街が消滅し、1万2000人を超える死者が発生した。ベルカ領内での核攻撃を想定していなかった連合軍は完全に混乱状態に陥った。核爆発によって生じた電磁パルスで通信網は破壊され、連合軍は戦局の把握が困難となった。スーデントールのベルカ軍はこの隙に連合軍の包囲網を突破した。連合軍はバルトライヒ山脈を超えての進撃が困難となり、北ベルカへの本格的な攻勢は頓挫した。 なお、後に決起する「国境無き世界」の指導者と考えられているジョシュア・ブリストー大尉率いるオーシア空軍の第8航空団第32戦闘飛行隊がバルトライヒの決戦の最中に戦線から行方をくらました。6月6日には核爆発の混乱に乗じてブリストー大尉はガルム隊2番機を務めるラリー・フォルク少尉と接触し共に離脱した。 ベルカでは核兵器を用いた自爆作戦は政治的にも軍事的にもダメージが大きく、連合軍主導で暫定政権が成立した。しかし未だベルカ国内では主戦派の軍人が抵抗を続け、武装解除に応じない部隊も師団レベルで存在していた。
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