バルセロナ・アトランタ両五輪代表選出
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「鈴木博美 (陸上選手)」の記事における「バルセロナ・アトランタ両五輪代表選出」の解説
1992年8月、バルセロナオリンピック女子10000m代表に選ばれたが、直前の足の故障により予選落ちに終わる(決勝進出の真木和は12位、五十嵐美紀は14位)。その3年後の1995年8月、世界陸上イェーテボリ大会女子10000mの代表に選出。鈴木にとって初めての世界陸上であったが、本番の10000mでは予選も決勝も終始落ち着いた走りを見せる。その決勝レースでは中盤優勝争いからは脱落するもマイペースを維持。そして終盤鈴木はペースを上げると順位が上がっていき、結果8位入賞を果たす。 翌1996年1月28日、アトランタオリンピックの選考レースである大阪国際女子マラソンに初めてフルマラソンに出走した。前半のややスローなペースには楽につき、後半のペースアップにも対応していたが、優勝したカトリン・ドーレ( ドイツ)の終盤でのラストスパートにはついていけず、惜しくも2位だった。ゴール記録は同五輪選考レースの最高タイムであったが、負けた事とマラソンの実績が乏しかった理由により、女子マラソン代表は落選となった(奇しくも女子マラソン三番目の代表は、同じリクルート所属の先輩である有森裕子と競り合う形となった。補欠は安部友恵)。 同年の日本選手権では女子10000mに出場、長距離トラックでの五輪出場へ方向転換を図る。レース後半は同じく10000m代表となる千葉真子、川上優子とのデッドヒートとなるが、最後は鈴木がわずかに抜け出して優勝、当時の日本記録を樹立した。これによりアトランタ五輪女子10000m日本代表に2大会連続で選出された。五輪本番では予選は余裕に通過したものの、決勝はレース前半で早くも遅れ始めて入賞争いに加われず、結局16位に終わった(他の日本女子選手は千葉が5位、川上が7位と二人同時入賞の成績となる)。
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