バルセロナ・アトランタ両五輪代表選出とは? わかりやすく解説

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バルセロナ・アトランタ両五輪代表選出

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/04 14:27 UTC 版)

鈴木博美 (陸上選手)」の記事における「バルセロナ・アトランタ両五輪代表選出」の解説

1992年8月バルセロナオリンピック女子10000m代表に選ばれたが、直前の足の故障により予選落ちに終わる(決勝進出真木和12位、五十嵐美紀14位)。その3年後の1995年8月世界陸上イェーテボリ大会女子10000mの代表に選出鈴木にとって初めての世界陸上であったが、本番10000mでは予選決勝終始落ち着いた走り見せる。その決勝レースでは中盤優勝争いからは脱落するマイペース維持。そして終盤鈴木ペース上げると順位上がっていき、結果8位入賞を果たす。 翌1996年1月28日アトランタオリンピック選考レースである大阪国際女子マラソン初めフルマラソン出走した前半のややスローペースには楽につき、後半のペースアップにも対応していたが、優勝したカトリン・ドーレドイツ)の終盤でのラストスパートにはついていけず、惜しくも2位だった。ゴール記録は同五輪選考レースの最高タイムであったが、負けた事とマラソン実績乏しかった理由により、女子マラソン代表は落選となった奇しくも女子マラソン三番目の代表は、同じリクルート所属先輩である有森裕子競り合うとなった補欠安部友恵)。 同年日本選手権では女子10000m出場長距離トラックでの五輪出場方向転換を図る。レース後半同じく10000m代表となる千葉真子川上優子とのデッドヒートとなるが、最後鈴木わずかに抜け出して優勝当時日本記録樹立した。これによりアトランタ五輪女子10000m日本代表に2大会連続選出された。五輪本番では予選余裕通過したものの、決勝レース前半で早くも遅れ始めて入賞争い加われず、結局16位に終わった(他の日本女子選手千葉が5位、川上が7位と二人同時入賞成績となる)。

※この「バルセロナ・アトランタ両五輪代表選出」の解説は、「鈴木博美 (陸上選手)」の解説の一部です。
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