バルセロナオリンピック出場
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「谷亮子」の記事における「バルセロナオリンピック出場」の解説
8月のバルセロナオリンピックでは初戦でキューバのアマリリス・サボンと対戦すると、効果を先取されるも大内刈や小内刈などで有効2つと効果1つを取り返して初戦を突破した。続く2回戦ではブラジルのアンドレア・ロドリゲスから有効2つを奪った後に崩上四方固で破ると、準々決勝では李愛月に内股で一本勝ちした。準決勝では前年の世界選手権で敗れたブリッグスを素早い動きで翻弄して攻め立てると、ブリッグスはその動きについて来れずに次々と反則ポイントが与えられたのみならず、右肩まで脱臼した。その後も容赦なく攻め続けると終盤にはブリッグスを反則負けに追いやった。 決勝では世界チャンピオンであるフランスのセシル・ノバックと対戦すると、開始30秒過ぎに素早い動きで相手を前方に引き落とすが、その際に両足を掴まれて双手刈で効果を取られた。その後、内股や小内刈で盛んに攻め込むもののポイントは取れず、3分過ぎに支え釣り込み足を踵返で切り返されて2つ目の効果を取られると、反撃及ばず敗れて銀メダルに終わった。但し、オリンピックの柔道競技においては16歳331日の史上最年少メダリストになった。ノバックはフランス女子ナショナルチームの監督である村上清に田村の弱点は技を仕掛けて戻る際に重心がふらつくところだとの指摘を受け、この試合でもそのアドバイスに従ってポイントを稼いだ。 試合後にノバックは、「田村は小さすぎる、勝てるわけがない。田村は16歳と若くきゃしゃだ。全く怖くなく、初めてだったが勝つ自信があった」と挑発的なコメントを残した。一方で敗れた田村は、「ノバックは(2階級上の)56kg級の選手のように懐が深く力が強かった。あともう少しがんばったら金メダルがもらえたのに」と悔しさを噛み締めて語った。なお、ブリッグスからは試合後に「これからはあなたの時代」との言葉を贈られた。
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