バルセロナオリンピック後
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「岩崎恭子」の記事における「バルセロナオリンピック後」の解説
バルセロナ五輪後、諸問題(後述)によりモチベーション低下に悩み一時不振に陥るが、1996年アトランタオリンピックの代表選考会を兼ねた同年の日本選手権女子100m平泳ぎで田中雅美に次ぐ2位に入り、五輪出場権を獲得。五輪本番では、200m平泳ぎで10位、100m平泳ぎは予選落ちに終わり五輪2大会連続でのメダル獲得はならなかった。 1998年、伝染性膿痂疹を発症した影響および闘争心の喪失を実感し、9月の日本学生選手権水泳競技大会を最後に引退。その後、テレビなどで競泳のコメンテーターとして活動を開始。 2002年、アメリカ合衆国のミッションビエホに海外指導者研究生として留学。 2010年、第1回ユースオリンピック(開催地:シンガポール)では競泳日本代表コーチとして担当。 2014年6月6日、日本マスターズ水泳協会理事に選出。
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