バブル期・バブル崩壊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/22 04:37 UTC 版)
バブル景気に沸く1980年代後半、日本の自動車メーカーはその好況が持続するものとみなし、設備増強に走った。バブル全盛期には日産が発売した高級セダン車であるシーマが飛ぶように売れ、「シーマ現象」なる流行語も生まれた。1984年5月、社名を東洋工業から、それまでブランド名として使用してきたマツダに変更。ファミリアを金看板とする大衆車メーカーであるマツダを独国のBMWのような高級イメージを持つメーカーに転換したいと思慮していた。そこで好況の時流に乗り、販売を拡大させようと、「5チャネル構想」を打ち出した。この構想に基づき、マツダ店は従来通りベーシックな車、オートラマ店はフォード車の販売、マツダオート店をマツダアンフィニ店に名称変更し、高級車とスポーティな車の専門店に転換。さらに新設のユーノス店は斬新な高級車、同様に新設であるオートザム店は軽乗用車を取り扱うとした。 詳細は「マツダ#販売」を参照 販売チャネルが増加すれば、供給する車も増やす必要があるため、600億円を投じ、防府工場(山口県防府市)に隣接する第二工場を建設した。しかし1991年にバブル崩壊を迎え、マツダの売り上げは減少し、販売力の脆弱さ、円高が決定打となり業績は赤字に陥った。イトマン事件問題が収束し、再びマツダの経営を注視し始めた、住友銀行会長に就任していた巽外夫は、再度マツダを再建するには銀行主導では限界があり、資本提携を結ぶフォードの世界戦略への編入によってしか生き残る術はないと判断した。
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