バニャムレンゲの反乱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/03 07:39 UTC 版)
「第一次コンゴ戦争」の記事における「バニャムレンゲの反乱」の解説
緊張激化とザイール政府が東部の統制を失ったことから、「虐殺者」が逃亡したザイール東部に対してルワンダが行動を開始した。ルワンダ政府はザイールでの活動のために1995年に民兵組織を編成、バニャムレンゲの反乱の口火となった1996年8月31日のルワンダのツチとザイールの特殊部隊の交戦に続いて行動を開始した。ザイール東部の不安定な社会情勢は存在していたものの、この反乱は一般的な反乱とは異なり、ルワンダ国防軍がザイールのツチを雇って扇動したものであった。 バニャムレンゲの反乱の初期目標は、キヴ州(1969年にマニエマ州、北キヴ州、南キヴ州に三分割された)の奪取と虐殺を続けるフツ過激派との戦闘であった。だが、反乱軍がツチの支配下にある期間は長いものでは無かった。これはモブツの苛酷で独善的な政権がザイールのあらゆるところで敵を作っていたことによるものであった。その結果、反乱軍は広範な民衆の支援を得てバニャムレンゲの反乱から全国的な革命運動へと変質したのである。 バニャムレンゲの部隊はツチ以外の民兵と合流し、コンゴ・ザイール解放民主勢力連合(AFDL:フランス語: Alliances des Forces Democratiques pour la Liberation du Congo-Zaire)がローラン・カビラを指導者として誕生した。ローラン・カビラは、長年反政府運動を行ってきた人物であり、AFDLの元となった3組織の一つの長であった。表向きはザイールの反乱であったが、ルワンダはその編成に主要な役割を果たしていた。戦争オブザーバーはルワンダ国防相と副大統領であり、ポール・カガメはAFDLはキガリから指揮・編成し、ルワンダで訓練した部隊ばかりかルワンダ国防軍の軍人も加わっていたと主張している。
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