ハンブルク教会史
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「ブレーメンのアダム」の記事における「ハンブルク教会史」の解説
アダムのもっとも有名な作品『ハンブルク教会史』は大司教アダルベルトが逝去してから書き始められた。全4巻で構成されており、ハンブルク・ブレーメン大司教座や北方の島々について、1巻から3巻はおもに歴史、4巻は地理について扱っている。アダムはブレーメン教会の図書館じゅうの資料を自らの手で探してアインハルトやカッシオドルスをはじめ過去の歴史学者の著書を参照し、それらを基にこの本を著した。初版は1075年もしくは1076年に完成したが、アダムは1080年代に亡くなったため改訂や加筆は行なわれなかった。 1巻はハンブルク・ブレーメン教会と北ヨーロッパにおけるカトリックの伝道活動について書かれており、788年以降は他の書籍を参照しないアダム自らの記述であり、13世紀まで北ヨーロッパに関する知識の情報源となった。 2巻は1巻から引き続き歴史を扱っているが、940年から1045年にかけてのドイツの歴史も記述に含まれている。 3巻は大司教アダルベルトの功績について書かれており、これは中世伝記文学において画期的な出来事であったと考えられている。 4巻『北欧諸島誌』("Descriptio insularum Aquilonis")は1075年にほぼ完成したが、スカンディナヴィアの民族や慣習について現地における布教活動の進展と同じくらい詳細に記述されている。アダムは北ヨーロッパ改宗の支持者であった。スカンディナヴィアは当時ようやく宣教師たちが探査を始めたばかりであったため、この巻はおそらく将来的に宣教師たちを奮起させ布教に導く目的で書かれたらしいが、詳細な描写がキリスト教化以前のスカンディナヴィアについての重要な情報源の1つとなった。 また、後に北アメリカカナダのニューファンドランド島と同定されたヴィンランドについてヨーロッパの記録の中で初めて触れられたものとしても知られている。
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