ハンブルク市長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 15:31 UTC 版)
「オーラフ・ショルツ」の記事における「ハンブルク市長」の解説
2011年2月20日に行われたハンブルク市議会議員選挙で、SPDの得票率は48.3%に上り121議席中62議席と単独過半数を獲得する勝利をおさめた。この結果、SPDは10年ぶりに政権を奪回し、ショルツがハンブルク市長に就任した。同時に連邦議会議員職を辞した。2015年の市長選挙でも再選されたが、SPDの獲得議席が過半数を割ったため、緑の党との連立政権となった。2017年ドイツ連邦議会選挙の際にはSPDの首相候補に取りざたされたこともあったが、結局マルティン・シュルツが選ばれた。 2015年には、ハンブルクに2024年夏季オリンピック招致することを表明し、ローマ、パリ、ブダペスト、ロサンゼルスとの招致レースに参加した。しかし、同年11月に行われた招致の是非を問う住民投票では反対票が51.7%となり、ショルツは「望んでいた決定ではないが、意向は明かだ」と述べ招致を断念した。 2017年にG20サミットがハンブルクで開催された際には、抗議デモ参加者の一部が暴徒化し警察と衝突して双方に負傷者が出る事態となった。サミット警備のためにドイツ全土から2万人余りの警察が動員されたが、そのうち467人が負傷したとハンブルクの警察当局から発表された。キリスト教民主同盟(CDU)所属のハンブルク市議会議員からはショルツの責任を問い市長辞任を求める声もあったが、G20警備は政府全体の責任であるとして、メルケル首相はじめ連邦レベルのCDUはショルツを擁護している。
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