ハンブルク延長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/12/04 18:55 UTC 版)
「パルジファル (列車)」の記事における「ハンブルク延長」の解説
1960年5月29日から、パルジファルの運行区間はパリ - ハンブルク間に延長された。途中エッセンとミュンスターの間ではゲルゼンキルヒェン(停車せず)経由の短絡ルートを通っており、ドルトムントなどルール地方東部は経由していなかった。また同時にパリ・ルールとの間で使用車両の交換が行なわれ、西ドイツ国鉄のVT11.5型気動車を用いるようになった。 1960年当時、パリ - ハンブルク間の所要時間は9時間33分から34分であったが、これから1965年ごろまでベルギー国内での電化工事の影響で所要時間が徐々に延び、往復とも10時間前後になった。1966年以降は所要時間は減少に転じている。 また1965年夏からは、ドルトムント - アントウェルペン間の列車ディアマントが同じVT11.5型気動車を用いるTEEとなった。この時パリ行パルジファルとアントウェルペン行ディアマントはケルン - リエージュ間で併結して運転された。なおエッセン - ケルン間ではパルジファルはディアマントの数分後を続行運転した。これはハンブルクなどドイツ北部とベルギーとの連絡を図るためである。しかし1966年夏のダイヤ改正でディアマントとの併結は打ち切られ、リエージュで乗り換えるように改められた。
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