ノイラートの試み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/09 06:36 UTC 版)
現代のピクトグラムにつながる世界中に通用する国際的な絵ことばの試みの最初は、1920年代にオットー・ノイラート(1882-1945)が考案したアイソタイプであった。ノイラートはウィーンの社会経済学者、哲学者で、1925年に絵による統計図表を展示する「ウィーン社会経済博物館」を設立した(博物館は1936年まで存続した)。彼は教育のための図表を考案し、「図は文書より大きな効果をもたらし、文書より長く存続する」と考え、図による補助は子どもたちに必要なものであるとし、地球上にある全ての言語に対応する国際図説言語(補助言語としての図記号)を作り、アイソタイプと名付けた。ISOTYPEとはInternational System Of TYpographic Picture Educationのことである。 彼は「見知らぬ国へやってきて現地の言語が分からない人は、見慣れない文字でも横に絵が添えられていれば,正しい対処方法を知ることができるだろう」「図記号は統計料の比較に補助となり得る」「ことばは隔たりを作り絵はつながりを作る」などと主張し、アイソタイプシステムと調和した図説による教育や掲示は、たとえ民族が違っても共通の認識を与えてくれると考え、「もし学校が国際的な図説言語と調和するような視覚教育を行うとすれば、それが世界中に共通する教育の土台となり、国際教育のあらゆる問いかけに対して新たな刺激を与えるものになる」として、「図による教育のための未来の教育システムが必要になるだろう」と述べている。 ノイラートは「事実に基づく図表の中でも特に注意を払ったのは数値を扱う統計図だ。統計図における唯一のルール、それは、図記号は一定量の物事を表すということである。つまり、たくさんの図記号はたくさんの物事を表しているのだ。」と述べて、図記号自体の大小で量を表す従来のシステムよりも、アイソタイプの統計図の方が優れているとしている。
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