ネメシス神殿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/10 03:36 UTC 版)
ネメシスの大きな神殿の建設は前460年から前450年頃に始まり、前430年から前420年頃まで続いた。アテナイのヘパイストス神殿、スニオン岬のポセイドン神殿(英語版)、アカルネス(英語版)のアレス神殿を設計した建築家カリクラテスが設計したと考えられている。パルテノン神殿がアテナイに建設されたペリクレスの治世中に、巨大な多角形のテラス壁のある基壇の上にドーリス式ペリペテロス(英語版)の神殿として建設された。エウテュンテリアと最下段のクレピドーマ(英語版)は地元産の暗い大理石で作られ、残りは白い大理石で作られた。紀元前431年に始まったペロポネソス戦争は神殿の完成を中断させたにちがいなく、円柱の縦溝の彫刻は行われず、ステュロバテスの石材は未完成のままであり、損傷しやすい角や上面に、保護用の余分な大理石を保持していた。ペディメントに彫刻はなく、彫刻で装飾されたメトープもなかったが、屋根は彫刻のアクロテリア(英語版)で装飾されていた。 オリジナルである神殿の建設後のある時点で神殿の東端がひどく損傷し、その後、上部の層が新しい石材で修復された。この地域や他の神殿の損傷、アテナイの記念碑の破壊は、マケドニア王フィリッポス5世の軍隊が前200年の襲撃の最中に引き起こしたものと考えられている。ネメシス神殿の修復に使用された石材は元の石材とは異なり、加えて細工がまったく異なっていることは古い古典神殿への関心が再興したローマ時代に修復が行われたことを示唆している。神殿東端にあるアーキトレーブ中央の石材には、デモスによる女神リウィア・ドルシッラの再奉献の碑文が刻まれており、修復に関連している可能性がある。この再建には、フリーズ、ゲイソン(英語版)、おそらくティンパノン、レーキングゲイソン、アクロテリア、およびおそらくシマ(英語版)と、屋根瓦、天井の格間の一部の複製を作成することが必須であった神殿東端の交換を伴っていたため、費用がかかったことは想像に難くない。荒廃していたアッティカ地方の他の神殿とは異なり、ネメシス神殿は有用な部分が剥ぎ取られたり、アテネに全て移されたりすることはなかった。代わりに、地元の重要な記念碑として誇りを持って修復された。
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