ニューヨーク時代の終焉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 22:38 UTC 版)
「1957年のメジャーリーグベースボール」の記事における「ニューヨーク時代の終焉」の解説
1939年から1953年までドジャース専属の実況アナウンサーだったレッド・バーバーは、史上初のナイトゲーム(1935年)や史上初のテレビ中継(1939年)、ジャッキー・ロビンソンのデビュー戦(1947年)を担当し、その後1954年にヤンキースに移ってロジャー・マリスの61号本塁打(1961年)の瞬間も伝えたアナウンサーの草分け的存在であった。その彼が「大リーグ野球は1947年から1957年までの11年間にその頂点に達した」と述べている。その間にナショナルリーグはドジャースが6回、ジャイアンツが2回リーグ優勝し、アメリカンリーグはヤンキースが9回リーグ優勝し、ワールドシリーズはそのヤンキースが7回制覇し、ドジャースが1回でジャイアンツも1回制覇で、ニューヨークのチームがワールドシリーズに出場しなかったのは1948年のみで優勝出来なかった年は1948年とこの1957年だけであった。この時代のニューヨークは10月に入るとヤンキースかドジャースか、或いはジャイアンツかで市民の会話は沸騰していた。まさにニューヨークの野球ファンにとって黄金時代であった。 しかし常勝ヤンキースがシリーズ5連覇の後にリーグ4連覇に邁進していた頃には、「くたばれヤンキース」というミュージカルが生まれやがて映画化されるなど、強すぎるヤンキースの影でドジャースもジャイアンツも観客動員数の減少傾向に悩まされていた。1957年のチーム別観客動員数は、ヤンキースが約150万人、ドジャースが約102万人、ジャイアンツが約65万人であった。ドジャースとジャイアンツにとってヤンキースは宿敵であったが、観客動員数の格差は如何ともなしえ得ないものであった。ブレーブスがミルウォーキーに移転して最初の年が約182万人、翌年から200万人の大台を4年連続突破したことは両球団にとって本拠地移転のきっかけになった。それはまたニューヨーク時代の終わりでもあった。
※この「ニューヨーク時代の終焉」の解説は、「1957年のメジャーリーグベースボール」の解説の一部です。
「ニューヨーク時代の終焉」を含む「1957年のメジャーリーグベースボール」の記事については、「1957年のメジャーリーグベースボール」の概要を参照ください。
- ニューヨーク時代の終焉のページへのリンク