ニューヨーク方面作戦
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「ウィリアム・ハウ」の記事における「ニューヨーク方面作戦」の解説
詳細は「ニューヨーク・ニュージャージー方面作戦」を参照 1775年10月10日、ハウはゲイジ中将がイングランドに戻ったときに、彼に代わって大陸派遣軍の総司令官となった。この年ナイトにも叙せられウィリアム卿となった。1776年の4月、司令官任務は恒久的なものとなったが、カナダのケベック駐在軍はガイ・カールトン将軍の指揮下のままだった。ハウはその年の夏、ロングアイランドの戦いでジョージ・ワシントンを破ったが、その勝利にさらに追い討ちを掛けるべくブルックリンハイツに陣取るワシントン軍前線への攻撃をハウが許さなかったために、ワシントンの大陸軍は夜の間にイースト川を渡って戦略的撤退を成し遂げ、また翌朝の深い霧にも助けられた。部下のクリントンなどが推奨したようにハウがその持てる兵力33,000名でブルックリンハイツに攻撃をかけておれば、ワシントンの全軍を捕捉して、その時その場で独立戦争は終わっていたかもしれない。ハウがそうできなかったことはこの戦争で最大の逸機と一般に考えられている。また、9月には、スパイの容疑でネイサン・ヘイルの処刑を命じた。
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