ナショナリティ・ルーム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/23 06:15 UTC 版)
「学びの聖堂」の記事における「ナショナリティ・ルーム」の解説
1階と3階には、それぞれの国の建築様式に沿って造られた、27部屋のナショナリティ・ルームと呼ばれる教室が並んでいる。各々のナショナルティ・ルームは、ピッツバーグの発展に影響を及ぼしてきた各国の文化に敬意を表して、合衆国憲法が制定された1787年よりも前の各国の建築様式に則って造られている。 ナショナリティ・ルームは1926年、学びの聖堂の建設にあたってボーマンが地元のコミュニティをできるだけ参画させようとして、その当時のピッツバーグに多く住み着いていた移民が祖先の国の建築様式に則った部屋を校舎内に造れるように提案し、それが形になったものであった。各祖先グループはそれぞれナショナリティ・ルーム委員会を設立し、制作費用の調達、制作場所の獲得、設計、資材確保、制作には全て委員会が責任を負うようにした。一方、大学側は制作場所となる部屋の提供と、制作された後の管理のみを受け持った。いくつかのナショナリティ・ルームはアメリカ合衆国外の政府からの援助を受けて制作された。また、いくつかのナショナリティ・ルームは、当該国で実際に使われている資材や調度品をふんだんに用いて造られた。1938年、最初に造られたナショナリティ・ルームはスコットランド、ロシア、ドイツ、スウェーデンの4部屋であった。新しく造られた教室としては、日本(1999年)、インド(2000年)、ウェールズ(2008年)などの例がある。 1938年から1957年までに造られた、1階にある部屋は制作に3-10年を要し、制作費用は2006年換算で300,000ドル程度であった。それ以後に造られた部屋は概ね500,000ドル以上の費用を投じて制作された。
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