ナショナリズムの隆盛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 05:29 UTC 版)
1980年代になるとセルビアにスロボダン・ミロシェヴィッチが登場した。ミロシェヴィッチは1974年に制定されたユーゴスラビアを構成するセルビア、クロアチア、スロベニア、マケドニア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロの6共和国とコソボ、ヴォイヴォディナの2つの自治州を等しく扱い、その自治を大幅に認める憲法を激しく糾弾した。ミロシェヴィッチの主張は「74年憲法はユーゴスラビアを解体するものであり、ベオグラードの連邦政府主導によってユーゴスラビアの結束を図らねばならない」というものであった。ベオグラード主導ということはセルビア人主導と言う意味であり、ミロシェヴィッチはセルビア人のナショナリズムを扇動したわけである。 これに反発する形で、セルビア人以外の民族に反セルビアという形でのナショナリズムの動きが現れた。この中でも特にこの傾向が強かったのはクロアチア人、スロベニア人、そしてコソヴォのアルバニア人である。特にユーゴスラビア末期の1980年代末にはコソヴォの分離傾向は抜き差しならない状態に陥っていた。この件に関しての詳細はコソボ紛争の項目に譲るが、これに後押しされる形で、クロアチア、スロベニアでもユーゴスラビアからの分離独立を目指す動きが活発になった。
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