ドン・パシフィコ事件とは? わかりやすく解説

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ドン・パシフィコ事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/11 15:10 UTC 版)

ヘンリー・ジョン・テンプル (第3代パーマストン子爵)」の記事における「ドン・パシフィコ事件」の解説

1850年初夏、ギリシャ・アテネ在住英国ジブラルタル)籍のムーア人ユダヤ人商人ドン・パシフィコ(英語版)は、その前年反ユダヤ主義者邸宅焼かれ財産奪われた件で巨額賠償金ギリシャ政府要求したが、ギリシャ政府はこれを拒否した。パシフィコはイギリス外務省助け求めた。 ちょうどこの頃イギリスギリシャイオニア諸島領有問題争っていたため、パーマストン卿はこの事件ギリシャ恫喝絶好チャンス見た英国艦隊ピレウス港に派遣し、パシフィコの要求応じるようギリシャ政府恫喝したギリシャ政府はこの恫喝屈服し、パシフィコに賠償金支払い、またイオニア諸島イギリス領有を認め羽目となった(ドン・パシフィコ事件(英語版))。 このパーマストン卿のやり方フランスロシア批判し国内でもヴィクトリア女王野党批判した女王は「一個人利益のために国家全体危険に晒してならない」と訓戒した貴族院パーマストン不信任案決議した庶民院でもピール派ウィリアム・グラッドストン保守党ベンジャミン・ディズレーリ急進派英語版)のリチャード・コブデン野党議員鋭く批判した。 これに対してパーマストン卿は6月25日答弁に立ち、次のような歴史に残る演説反論した。 古のローマ市民が『私はローマ市民である』と言えば侮辱受けずにすんだように、イギリス臣民も、彼がたとえどの地にいようとも、イギリス全世界を見渡す目と強い腕によって不正と災厄から護られていると確信できるべきである。 この英国民の自尊心くすぐる演説圧倒的な世論支持を受け、たちまちのうちにパーマストン卿は国民的英雄となった。この演説には野党議員さえもが感動しグラッドストンは「並はずれた名演説」と評しロバート・ピールは「我々の誰もが彼を誇りに思わずにはいられなかった」と評した情勢逆転し庶民院46票差でパーマストン不信任案否決した

※この「ドン・パシフィコ事件」の解説は、「ヘンリー・ジョン・テンプル (第3代パーマストン子爵)」の解説の一部です。
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