女王夫妻との対立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/11 15:10 UTC 版)
「ヘンリー・ジョン・テンプル (第3代パーマストン子爵)」の記事における「女王夫妻との対立」の解説
ヴィクトリア女王やその夫アルバート公子は、ドイツ連邦の領邦ザクセン=コーブルク=ゴータ公国の公家の血を引いており、ドイツ連邦二大国プロイセン・オーストリアと良好な関係を保ちたいと願っていた。そのため反普・反墺的態度をとることが多いパーマストン卿の自由主義外交に辟易していた。 また女王夫妻は、二人の叔父であるベルギー王レオポルド1世がオルレアン家のフランス王ルイ・フィリップの娘ルイーズと結婚していた関係で親オルレアン家であり、そのオルレアン家を倒して樹立されたフランスの共和政体を嫌っていた。パーマストン子爵の外交についてもフランスと接近し過ぎと考えていた。 さらにパーマストン卿は女王夫妻に事前報告せず、事後報告で済ませようとすることが多かったが、女王夫妻はこれにも不満を抱いており、ドン・パシフィコ事件の際には首相ジョン・ラッセル卿とパーマストン卿双方に対して「1、外務大臣は何を行おうとしているか女王に明確に述べること、女王が何に裁可を与えたか把握するためである。2、一度女王が裁可を与えた場合にはそれ以降外務大臣は独断で政策を変更・修正してはならない。そのような行為は王冠に対する不誠実であり、行われた場合には大臣罷免の憲法上の権限を行使するであろう」という警告を行っているほどである。この時にはパーマストン卿もやり方を改めることを約束した。
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