ドロール委員会、サンテール委員会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/27 05:07 UTC 版)
「欧州委員会」の記事における「ドロール委員会、サンテール委員会」の解説
歴代委員会の中でも最も成功を収めたとされるのはジャック・ドロールを長とするドロール委員会であり、ドロール以降の委員長ではドロールと同程度の評価を受けていない。ドロールは欧州委員会に方向性と行動力を与えたとされている。ドロールとその委員会はまた「ユーロの父」とも考えられている。インターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙は1992年末の2期目の任期満了時にドロールの業績について次のように評している。 Mr. Delors rescued the European Community from the doldrums. He arrived when Europessimism was at its worst. Although he was a little-known former French finance minister, he breathed life and hope into the EC and into the dispirited Brussels Commission. In his first term, from 1985 to 1988, he rallied Europe to the call of the single market, and when appointed to a second term he began urging Europeans toward the far more ambitious goals of economic, monetary and political union.(日本語訳)ドロール委員長は欧州共同体を停滞状態から救いあげたのである。委員長はヨーロッパに対する悲観論が最高潮にあったときにその任に就いた。ドロール氏はもともとフランスの財務相として知られていたが、欧州共同体と力を失っていたブリュッセルに活気と希望を吹き込んだのである。1985年から1988年までの1期目でドロール氏は単一市場の創設を呼びかけることでヨーロッパに活気を取り戻させ、2期目を任されてからはヨーロッパ人を経済、通貨、政治での統合という、さらに壮大な目標に向かわせたのである。 ドロールの後任にはジャック・サンテールが任命された。ところが1999年にサンテール委員会は欧州議会により汚職の追及を受けて総辞職を余儀なくされた。欧州委員会が総辞職に至ったのはこのときが初めてであり、この出来事は欧州議会の権限が強化されたことを示すものでもあった。しかしながらサンテール委員会はアムステルダム条約とユーロ創設についての成果を挙げてきたといえる。
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