ドラゴン・ブームとは? わかりやすく解説

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ドラゴン・ブーム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 13:43 UTC 版)

藤波辰爾」の記事における「ドラゴン・ブーム」の解説

1978年1月23日ニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンにてカルロス・ホセ・エストラーダ初公開ドラゴン・スープレックス破りWWWFWWFジュニアヘビー級王座獲得凱旋帰国を果たすが、海外遠征ブレイクしたため藤波日本には帰りたくなかったという。 3月3日凱旋帰国第一戦では、マスクド・カナディアンロディ・パイパー)を相手同じくドラゴン・スープレックス勝利以降ドラゴン・ロケットなど当時としては斬新だった飛び技、引き締まった肉体端正なマスク、そしてゴッチ仕込みテクニックで「ドラゴン・ブーム」を巻き起こし従来プロレスファン加えて女性子供ファンからの支持獲得腰痛悪化低迷していたストロング小林抜いて猪木坂口征二に次ぐ新日本プロレスNo.3の座に就いた王座1979年10月剛竜馬奪取されるも2日後奪回しており、1981年10月ヘビー級転向のために返上するまで、通算52回に渡って防衛チャボ・ゲレロカネックダイナマイト・キッド木村健吾などをライバルに、日本のプロレス界に「ジュニアヘビー級」というジャンル定着させた。 WWFジュニアヘビー級王者として日本のみならず海外でも防衛戦行いロサンゼルスでは素顔ロディ・パイパーをはじめ、エル・ゴリアススキップ・ヤングトム・プリチャードニューヨークで前王エストラーダジョニー・ロッズメキシコではレイ・メンドーサエル・ソリタリオなどの挑戦退けている。1980年2月1日にはダブルタイトルマッチにてスティーブ・カーン破りNWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王座獲得ジュニアヘビー級二冠王となった同年4月には国際プロレス阿修羅・原1981年7月には当時NWA世界ジュニアヘビー級王者レス・ソントン相手WWF王座防衛成功するなど、名実ともにジュニアヘビー級第一人者となったまた、春に開催されていたMSGシリーズにも出場して猪木坂口をはじめ、アンドレ・ザ・ジャイアントスタン・ハンセンダスティ・ローデススーパーヘビー級大物外国人とも対戦。公式リーグ戦ではニコリ・ボルコフバグジー・マグローボビー・ダンカンサージェント・スローターなど、体格差のある巨漢選手からクラッチ技でフォール奪っている。

※この「ドラゴン・ブーム」の解説は、「藤波辰爾」の解説の一部です。
「ドラゴン・ブーム」を含む「藤波辰爾」の記事については、「藤波辰爾」の概要を参照ください。

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