ドイツ=チェコ和解宣言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/09 17:13 UTC 版)
「ズデーテン地方」の記事における「ドイツ=チェコ和解宣言」の解説
このためドイツ政府とチェコ政府は政治的な「ジェスチャー」を行う必要性を感じ、1995年には両国間の共同宣言を検討し始めた。しかしランツマンシャフトとドイツキリスト教民主同盟が共同宣言は時期尚早であるとして反対したため、交渉は中断した。1996年8月から交渉が水面下で再開され、「ドイツ=チェコ和解宣言(ドイツ語版)」が合意された。宣言は12月20日に仮調印、1997年1月21日に正式調印が行われた。 和解宣言の概要 ドイツとチェコは善隣友好条約と友好関係を想起し、平和的友好関係を構築する。行われた不法行為は覆せないが、和らげることは可能である。 ドイツはチェコの欧州連合 (EU)・北大西洋条約機構 (NATO) 加盟を支持する。 ドイツ人追放の遠因はナチス政権の行動にある ドイツ人追放とベネシュ布告のうち「1946年5月8日付法律118号」によって是認された「行き過ぎ」についてチェコは「遺憾」の意を表明する 両国は不法行為は過去のものであり、未来志向で関係を構築することに合意する。 「チェコ=ドイツ未来基金」を設立し、両国の共通の利益となるプロジェクト、特にナチス・ドイツの犠牲となった人々に支出する。ドイツは1億4000万マルク、チェコは4億4000万コルナを拠出する(en)。 チェコ=ドイツ間で行われている、歴史共同研究を支持する(de:Deutsch-tschechische Historikerkommission)。 ドイツはこれまでチェコ側に体系的な補償を行ってこなかったが、この和解宣言によって補償への道が開かれた。一方でランツマンシャフトなどのズデーテン・ドイツ人団体は1996年5月18日に共同宣言を受け入れないと発表している。調印に参加したチェコ外相ヨゼフ・ジェレニッツ(英語版)は「宣言はピリオドではなくコロンだ」と述べ、関係改善は今後の課題となった。 その後もドイツのランツマンシャフトは人権上の問題からベネシュ布告の不法性を主張している。チェコはベネシュ布告の正当性を主張し続けており、2002年にはミロシュ・ゼマン首相が「ズデーテン・ドイツ人はヒトラーの第五列(スパイ)」であったと発言し、ドイツやオーストリアから激しい非難を受けた。2009年にはベネシュ布告が違法となりかねないリスボン条約への加盟反対運動が起こっている。
※この「ドイツ=チェコ和解宣言」の解説は、「ズデーテン地方」の解説の一部です。
「ドイツ=チェコ和解宣言」を含む「ズデーテン地方」の記事については、「ズデーテン地方」の概要を参照ください。
- ドイツ=チェコ和解宣言のページへのリンク