トヨタへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 10:54 UTC 版)
酒巻は結婚し、知人の紹介でトヨタ自動車工業へ入社した。バドミントン部を創設するなど面倒見がよいことで知られ、捕虜生活で学んだ英語を生かして輸出部次長などとして勤め、1969年(昭和44年)に同社のブラジル現地法人である「トヨタ・ド・ブラジル」の社長に就任した。同地にて日系商工会議所専務理事も兼任し、1987年(昭和62年)にトヨタ自動車を退職。1999年(平成11年)11月29日、愛知県豊田市で死去。81歳没。 長男の潔(きよし)は小学校時代、父に自分の名の由来を尋ねたところ「読んで字の如く『いさぎよし』だ」と教えられたが、甲標的に同乗した稲垣清(きよし)遺族を三重県に訪ねた折、戦友の名もちなんでいるかも知れないと思い至ったという。 甲標的の訓練施設があった愛媛県伊方町では、「大東亜戦争九軍神慰霊碑」の隣に2021年12月8日、酒巻を含めた10人の「史跡 真珠湾特別攻撃隊の碑」が、クラウドファンディングにより建てられた。碑には、出撃前に撮影された10人の写真が埋め込まれているが、戦時中、日本軍は酒巻だけを削って公表していた(淵田美津雄の回想による)。
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