デンマーク王女とは? わかりやすく解説

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デンマーク王女

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 06:39 UTC 版)

アレクサンドラ・オブ・デンマーク」の記事における「デンマーク王女」の解説

1844年12月1日デンマーク首都コペンハーゲンで、後にデンマーク王クリスチャン9世となるグリュックスブルク公クリスチャンとその妃ルイーゼ長女として誕生したアレクサンドラ家族からは「アリックス」(Alix)という愛称呼ばれた。妹のダウマー(後のロシア皇后マリア・フョードロヴナ)とは歳も近く、同じ部屋育ったということもあり、大の仲良しだった。父が1852年王位継承法嗣子のいないデンマーク国王フレゼリク7世継承者選ばれるまではシュレースヴィヒ・ホルシュタイン・ゾンダーブルク・グリュックスブルク公であったが、財力がなかったためにデンマーク王室から無料借りたコペンハーゲン市内小さな家暮らしていた。家庭教師を雇う金銭的余裕もなかったためにアレクサンドラは妹弟ともに両親から教育を受け、英語はイギリス人看護婦コペンハーゲンイギリス人牧師から習ったダウマーとともに美貌王女呼ばれ2人結婚年齢達するとヨーロッパ諸王室から縁談舞い込んだそんな中王位継承して間もないクリスチャン9世にイギリス政府からアリックス王女イギリス王太子アルバート・エドワードとの縁談持ちかけられた。イギリス王室との縁談は、経済的窮地にあるデンマーク王室にとって願ってもない話だった。しかし、当時デンマークプロイセンシュレースヴィヒ=ホルシュタイン巡って争っており、親普派であるヴィクトリア女王はデンマーク王女を王太子妃迎えることに消極的だったまた、イギリス王室ジョージ1世以来ドイツ領邦とのつながり深くヴィクトリア女王の母ヴィクトリア・フォン・ザクセン=コーブルクザールフェルトと夫アルバート公ドイツ出身、また長女ヴィクトリアプロイセン王太子に、次女アリスヘッセン大公子にそれぞれ嫁がせていた。 しかし、アルバート・エドワード素行悪さ直したかった女王は、美貌の妃を与えて大人しくさせることを考えた。そこで重い腰上げ美貌誉れ高いアリックス王女と会うことを決めたアリックスとの対面場所はヴィクトリア女王叔父ベルギー国王レオポルド1世の住むベルギー王宮に決めたレオポルド1世失態ないようベルギー王宮の女官たちあれこれ見合い準備細かく指示した。この縁組消極的だったヴィクトリア女王アルバート・エドワードは、対面したアリックスのその美貌惚れ込み、共に王太子妃望んだためこの縁談成立したイギリス王太子婚約したアリックス結婚のためデンマークからイギリス旅立ったコペンハーゲンから発つ際、大の仲良しだった妹ダウマー涙して見送った

※この「デンマーク王女」の解説は、「アレクサンドラ・オブ・デンマーク」の解説の一部です。
「デンマーク王女」を含む「アレクサンドラ・オブ・デンマーク」の記事については、「アレクサンドラ・オブ・デンマーク」の概要を参照ください。

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