デンマーク王家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/13 05:17 UTC 版)
クリスチャン2世以降、デンマーク王の名はフレデリク(フレズレク [ˈfʁæðˀʁæɡ̊])かクリスチャンを原則としている。 フレゼリク1世 (デンマーク王) フレゼリク2世 (デンマーク王) フレデリク3世 (デンマーク王) フレデリク4世 (デンマーク王) フレデリク5世 (デンマーク王) フレデリク6世 (デンマーク王) フレデリク7世 (デンマーク王) フレゼリク8世 (デンマーク王) フレゼリク9世 (デンマーク王) フレゼリク・ア・ダンマーク (1753-1805) - フレデリク5世の息子 フレデリク (デンマーク王太子) - マルグレーテ2世の息子
※この「デンマーク王家」の解説は、「フレデリック」の解説の一部です。
「デンマーク王家」を含む「フレデリック」の記事については、「フレデリック」の概要を参照ください。
デンマーク王家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/07 05:41 UTC 版)
1448年、母ヘートヴィヒを通してデンマーク王エーリク5世の女系の子孫にあたる、オルデンブルク伯クリスチャン7世がクリスチャン1世としてデンマーク王に選ばれ、オルデンブルク朝が始まる。王朝開始時にはカルマル同盟を引き継ぎ、北欧最大の領土と大国の座を維持し続けたが、1523年にスウェーデンに独立を許した。ただしノルウェー支配は1814年のウィーン会議まで維持していた(デンマーク=ノルウェー)。その後、2度にわたるシュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争(第一次、第二次)の結果、永年領有してきたスレースヴィ=ホルステン(シュレースヴィヒ=ホルシュタイン)公国はプロイセン王国に奪われた。このような閉塞的な状況の中でオルデンブルク家は断絶した。 オルデンブルク家の支流の1つホルシュタイン=ゴットルプ家は、1544年から1773年までシュレースヴィヒ=ホルシュタイン公国を支配したが、この一族はスウェーデンの王家となり、またロシア帝国のツァーリの家系ロマノフ家も継承した。オルデンブルク公、のちオルデンブルク大公もホルシュタイン=ゴットルプ家から出ている。 また現在のデンマーク王家およびノルウェー王家、かつてのギリシャ王家であり、イギリス女王エリザベス2世の夫エディンバラ公フィリップの出身家系でもあるグリュックスブルク家も、オルデンブルク家の支流の1つである。
※この「デンマーク王家」の解説は、「オルデンブルク朝」の解説の一部です。
「デンマーク王家」を含む「オルデンブルク朝」の記事については、「オルデンブルク朝」の概要を参照ください。
- デンマーク王家のページへのリンク