フレゼリク1世 (デンマーク王)とは? わかりやすく解説

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フレゼリク1世 (デンマーク王)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/19 00:39 UTC 版)

フレゼリク1世
Frederik 1.
デンマーク国王
ノルウェー国王
在位 1523年 - 1533年

出生 1471年10月7日
 デンマークハザスレウハザスレウ城
死去 (1533-04-10) 1533年4月10日(61歳没)
シュレースヴィヒ公国シュレースヴィヒゴットルフ城
埋葬 シュレースヴィヒ公国シュレースヴィヒ聖堂
配偶者 アンナ・フォン・ブランデンブルク
  ゾフィア・フォン・ポンメルン
子女 クリスチャン3世
ドロテア(1504年生)
ハンス
エリサベト
アドルフ
ドロテア(1528年生)
フレゼリク
家名 オルデンブルク家
王朝 オルデンブルク朝
父親 クリスチャン1世
母親 ドロテア・フォン・ブランデンブルク
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フレゼリク1世(Frederik I, 1471年10月7日 - 1533年4月10日)は、デンマーク=ノルウェー王(在位:1523年 - 1533年)。クリスチャン1世の子でハンスの弟。母はブランデンブルク=クルムバッハ辺境伯ヨハンの娘ドロテア。甥クリスチャン2世を廃位して王位に就いた。

生涯

1471年、フレゼリクはデンマーク=ノルウェー王クリスチャン1世ドロテア・フォン・ブランデンブルクの息子として生まれた。1482年から1490年までシュレースヴィヒ=ホルシュタイン公国の行政担当者であり、1490年以降は兄ハンスの共同統治者となった。1513年、兄ハンスが亡くなると、ユトランド貴族の一部がフレゼリクに王位につくよう勧めたが、辞退している。

1523年クリスチャン2世が度重なる失政により亡命を余儀なくされ、反クリスチャン勢力がフレゼリクをフレゼリク1世として擁立した。しかし、フレゼリクは長くシュレースヴィヒに居て、デンマーク語を習得しているかすら不明だった。そのため、フレゼリクは王になった後もシュレースヴィヒに居続けた。クリスチャン2世はネーデルラントへ亡命したが、彼の復位を求める反乱が相次いだ。1532年にはノルウェー王を称したクリスチャン2世を捕えて幽閉したが、翌年に死去した。フレゼリクには長子クリスチャン3世がいたが、クリスチャン2世も復位を企んだため、王の選出を巡って諸侯会議での対立が深く、最終的には伯爵戦争に繋がった。

子女

1502年にブランデンブルク選帝侯ヨハン・ツィーツェロの娘アンナ(1487年 - 1514年)と結婚し、2子をもうけた。

1518年、ポメラニア公ボギスラフ10世の娘ソフィーと再婚し、6子をもうけた。

先代
クリスチャン2世
デンマーク王
1523年 - 1533年
次代
クリスチャン3世
ノルウェー王
1523年 - 1533年



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