デンマーク王立歌劇場の音楽監督就任とトラブル
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「ヤクブ・フルシャ」の記事における「デンマーク王立歌劇場の音楽監督就任とトラブル」の解説
2011年1月にムソルグスキーのオペラ『ボリス・ゴドゥノフ』でのデンマーク王立歌劇場でのデビューをきっかけとして、同10月に、2013年8月より同劇場の音楽監督にも就任することが発表された。フルシャは2011年10月より同劇場の「音楽コンサルタント」というポストにいたが、年が明けた2012年1月に、当時王立歌劇場の芸術監督であったキース・ウォーナーと共に、音楽監督就任を辞退する旨を表明した。現地新聞では両者の軋轢が報じられたが、デンマーク国内の景気が悪化した上、オペラハウスの維持費がかさんでいたところに、欧州経済危機が相俟って、100人規模のリストラ、公演数・プロダクション数の削減をしなければならなくなったことから、両者は「(人員削減によって演目のクオリティが保てず)芸術的な責任が取れない」と判断した。芸術監督であったキース・ウォーナーはこの時点でまだ一度も仕事をしていなかったが、すでに来シーズンのプログラムが組んであったため、結局2012年の夏まではポストにとどまることとなった。
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