デンマーク艦隊の自沈
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/05 22:49 UTC 版)
「サファリ作戦」の記事における「デンマーク艦隊の自沈」の解説
デンマーク海軍は1940年4月のドイツ侵攻時には目立った交戦をせず、1943年8月時点でも無傷で残っていた。ただし1941年2月5日にドイツの要求で数少ない一線級戦力である「ドラーケン」級水雷艇(290t)6隻を「貸与」したため、数の上では52隻(2隻はグリーンランドに配備)、しかし大型艦は海防戦艦「ペダー・スクラム」(3780t)と「ニールス・ユール」(3800t)のみ、残りは旧式の水雷艇と敷設艇・掃海艇に沿岸用潜水艦、そして約半数が哨戒艇という構成になっていた。時の海軍司令官ヴェデル中将は事前に全艦艇に対し、ドイツ軍が行動を起こした場合、中立国スウェーデンへ脱出するか、それが不可能な場合は自沈するよう命じていた。 そして8月29日午前4時、ドイツ軍の作戦開始を受けて艦隊のうち32隻が自爆・自沈、4隻が脱出に成功し、残る14隻がドイツ軍に制圧される結果を迎えたのである。
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