デザインの検討は行われたものの製造が行われなかった新券種
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 09:37 UTC 版)
「日本銀行券」の記事における「デザインの検討は行われたものの製造が行われなかった新券種」の解説
1945年(昭和20年)の終戦直後から、他のA券と同様にA千圓券(1次案)・A五百圓券の発行の準備が進められていた。このときの図案原案は、伐折羅大将像(千圓券)、弥勒菩薩像(五百圓券)というものであった。しかしGHQからこれら高額券はインフレーション助長の可能性があると指摘され、さらに肖像にもクレームがつき告示も製造も取りやめとなった。なお、このときの千圓券の(肖像以外の)図案はA十円券に流用された。 B拾円券(大久保利通)、B五円券(福沢諭吉)およびB壱円券(二宮尊徳)のデザインが1946年(昭和21年)にB号券として準備されていたが、インフレーションの進行により高額券から優先して発行している間に十円青銅貨・五円黄銅貨・一円アルミ貨が発行されたためこれらの紙幣は製造されなかった。B号券としては高額の千円券から五十円券までの4券種のみが発行された。 B壱万円券(A案)(法隆寺西院伽藍全景、笏なしの聖徳太子)は、1953年(昭和28年)に考案されたが高額券発行によるインフレーション助長の懸念が根強く製造には至らなかった。そのB案(笏持ちの聖徳太子)がC壱万円券として1958年(昭和33年)に発行された。A案の透かしはC五千円券の透かしとして採用された。 D号券には発行された3種類の他に、D拾万円券およびD五万円券の発行が検討されていた。それぞれ聖徳太子と野口英世のデザインだったが、これも結局製造が行われなかった。
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