B壱万円券
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 15:51 UTC 版)
1953年(昭和28年)に下図案が公表されるも、終戦直後の急激なインフレーションによる社会的混乱の記憶が生々しい時期であったこともあり、インフレーションを助長するとの懸念から高額紙幣の発行に対する反対意見が非常に根強く、最終的に白紙となり製造や発行には至らなかった。表面には笏無しの聖徳太子の肖像と法隆寺西院伽藍全景、裏面には鳳凰が双向する図柄が描かれ、透かしは法隆寺夢殿であった。再検討の結果のちにC号券として1957年(昭和32年)に五千円紙幣が、1958年(昭和33年)に一万円紙幣がそれぞれ発行されている。寸法は縦84mm、横180mmの大型の券面であった。B壱万円券で予定されていたデザインのうち、法隆寺夢殿の透かしおよび裏面の鳳凰の図案はC一万円券の図柄として、笏無しの聖徳太子の肖像はC五千円券の透かしの図柄としてそれぞれ活用されている。
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