デザインの決定経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 06:21 UTC 版)
以下は1931年8月15日にNorda Gazetoに掲載された記事に基づく。 エスペランティストの旗(Standardo Esperantista) 緑の生地の左上の正方形に緑の星を配し、その中にEの文字を配したデザインが、1905年にブローニュ=シュル=メールで行われた世界エスペラント大会で認められた。旗の製作者はブローニュのエスペラントグループの指導者だった、アルフレ・ミショー、サージャン、モーリス・デュショーシュワである。大会の前のある日、彼らは商業者のグラのところ(Faidherbe街道14番)を訪れた。デュショーシュワはチョークを貸してもらい、テーブルの上に四角形を描いた。後に人々は何がされようとしているのか自問した。デュショーシュワは緑に(フランスの国旗のような)3色の筋を付けることを望んだが、サージャンは旗を特定の国のものにすべきではないと提案し、そしてミショーは星を付けるべきだとこだわった。サージャンは県の条例で組織の旗は区別のための記号を付けなければならないということを思い出し、彼の提案に沿って星の中央にEの文字を付けなければならないことになった。サージャンのデザインの旗はすぐに注文され、それは縦が1メートル、横が1.5メートルで、白い正方形の一辺は50センチメートルだった。数日後の8月1日に旗は街の通りの家、劇場の入口、喫茶店、そして世界エスペラント大会の受付に翻った。8月9日の大会の最終日、まだそのデザインの旗が翻っていた。弁士のオストロフスキは劇場の手すりにあった旗の一つを取り上げ、言った。「私達は(他のデザインを)探さないでおこう。この旗は私達を勝利に導き、私達を未来へと案内し、世界中の全ての国々に翻るだろう、今こそその時だ。」 大会は満場一致でその提案を受け入れた。ザメンホフは最初の旗のうちの2つに署名した。一つはミショー、もう一つはサージャンに贈られて23年後にウィーンのエスペラント博物館に寄贈された。
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