ディスカバリー遠征 1901年-1904年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/02 05:04 UTC 版)
「アーネスト・ジョイス」の記事における「ディスカバリー遠征 1901年-1904年」の解説
詳細は「ディスカバリー遠征」を参照 ディスカバリー遠征はジョイスにとって南極経歴の始まりだった。ただし、その後の3年間で比較的目立った働きをしていない。スコットの著作『ディスカバリーの航海』にもほとんど登場しないし、エドワード・ウィルソンの日記では全く言及されていない。南極での生活には素早く順応したようであり、犬ぞりを扱う技術や南極探検のその他の面でも経験を積んでいった。この遠征の中で主となる旅には顔を連ねていないが、その終わり近くに3,000フィート (910 m) ほどを登ることになるエレバス山登頂の隊にはアーサー・ピルビームやフランク・ワイルドと共に加わった。ジョイスはある時点で凍傷がひどくなり、マイケル・バーンとジョージ・マロックという2人の士官がその足先を腹のみぞおちで温め、踵を数時間揉んでくれたので、切断を免れた。しかし、そのような経験をしてもジョイスは豪胆であり、極圏歴史家のボー・リッフェンバーグはジョイスが「愛着と反感の奇妙な組み合わせ」で南極に繰り返し惹きつけられ、「何度も何度も帰ってくるように仕向け」たと記している。 この遠征の間、ジョイスはスコット、ウィルソン、フランク・ワイルド、トム・クリーン、ウィリアム・ラシュリー、エドガー・エバンス、そして最も重要なアーネスト・シャクルトンなど、その後の南極の歴史で重要な役割を果たすことになった多くの者と出逢った。ジョイスはシャクルトンと共に何度か犬ぞりの旅をしており、自分の能力と信頼性について印象を与えていた。スコットにも「地味で正直、忠実で知的」という印象を持たれていた。遠征の組織者クレメンツ・マーカム卿は後にジョイスのことを「正直で信頼に値する男」と表現していた。この遠征が終わった時には、スコットの推薦で下士官第1等への昇格を果たした。しかし、ジョイスは南極探検という虫に取り憑かれており、海軍の通常任務はもはや退屈なものになった。ジョイスは1905年に海軍を退役したが、丘での生活に満足できず、1906年には再入隊した。その一年後に、シャクルトンのニムロド遠征に参加するチャンスが来ると、直ぐに飛びついた。
※この「ディスカバリー遠征 1901年-1904年」の解説は、「アーネスト・ジョイス」の解説の一部です。
「ディスカバリー遠征 1901年-1904年」を含む「アーネスト・ジョイス」の記事については、「アーネスト・ジョイス」の概要を参照ください。
- ディスカバリー遠征 1901年-1904年のページへのリンク