エレバス山登頂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/12 14:40 UTC 版)
ニムロドが出発した後、海氷が割れて、隊がバリアに行くルートがなくなり、橇の準備や、補給所の設置が不可能になった。シャクルトンは隊に元気を与えるために即刻エレバス山に登る命令を出すことにした。 この山は標高12,450フィート (3,790 m) あり、まだ登頂されたことは無かった。ディスカバリー遠征のときに1つの隊(フランク・ワイルドやアーネスト・ジョイスが入っていた)が1904年に麓を探索したが、3,000フィート (910 m) 以上には登らなかった。ワイルドもジョイスもニムロド遠征でエレバス隊に入らなかった。登山隊はエッジワース・デイビッド、ダグラス・モーソン、アリステア・マッケイであり、マーシャル、アダムズ、ブロックルハーストが支援隊となり、3月5日に出発した。 3月7日、2つのグループが5,500フィート (1,700 m) で合流して、全員で頂上へ向かった。翌日はブリザードのために行く手を阻まれたが、3月9日早朝に登山が再開された。その日遅く、低い主火口の頂上に達した。この時までにブロックルハーストの足が凍傷に掛かっており歩けなかったのでキャンプに残され、他の者が活火口に進み、4時間後に到達した。気象実験を幾つか行い、岩石のサンプルを多く採取した。その後は主に連続した雪の斜面を滑り降りて、急いで下山した。3月11日、エリク・マーシャルに拠れば、隊は「死んだような状態で」ケープ・ロイズの小屋に到着した。
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