テレビ出演の反響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/25 13:47 UTC 版)
「エルヴィス・プレスリー登場!」の記事における「テレビ出演の反響」の解説
「ハートブレイク・ホテル」発売直後の1月28日に放送された人気番組「ザ・ドーシー・ショー」で「この若者がテレビの歴史を変えることになるでしょう」と紹介され、その後3月にかけて同番組に6回出演。4月に「ミルトン・バール・ショー」に出演したときの推定視聴者数は、4000万人だったという。さらに7月には、「スティーヴ・アレン・ショー」で脅威の55%を叩き出して見せた。番組には「腰の動きが猥褻だ」「声が淫らだ」「姿が不良っぽい」など抗議の電話や電報、手紙が殺到した。 良識ある大人の代表でもあったエド・サリヴァンは、「どんなことがあってもエルヴィスだけは自分の番組に出演させない」と宣言していたものの、ライバル番組の「スティーヴ・アレン・ショー」がエルヴィスを起用して自分の番組の4倍の視聴率を上げたことにも刺激され、ついに出演を許可。半年間に3回の出演契約を結んだ。1956年9月にエルヴィスが「エド・サリヴァン・ショー」へ初出演した際には、82.6%という視聴率を記録。 快進撃を続けていたエルヴィスだったが、その批判は凄まじく、CJCH局のDJはエルヴィスのレコードを600枚公園で焼き、ナッシュビルではエルヴィスそっくりの人形が絞首刑にされ、ミズーリ州セントルイスではエルヴィス人形が火あぶりにされた。テキサス州知事は、エルヴィスを筆頭とするロックン・ロール・アーティストのコンサートを一切中止すると発表し、ミシガン州ではエルヴィスと同じ髪形をした高校生が退学になった。評論家はエルヴィスのことを下品でいやらしい踊りの名人と評し、ニューヨーク・ジャーナルは「まるで原始人のステップを見ているようだ」「白人の子供を黒人にする陰謀の張本人」などとこきおろした。
※この「テレビ出演の反響」の解説は、「エルヴィス・プレスリー登場!」の解説の一部です。
「テレビ出演の反響」を含む「エルヴィス・プレスリー登場!」の記事については、「エルヴィス・プレスリー登場!」の概要を参照ください。
- テレビ出演の反響のページへのリンク