テラー (モニター)とは? わかりやすく解説

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テラー (モニター)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/19 13:51 UTC 版)

艦歴
発注:
起工: 1915年10月26日
進水: 1916年5月18日
就役: 1916年8月6日
退役:
その後: 1941年2月24日に戦没
除籍:
性能諸元
排水量: 7,200トン
全長: 405 ft (123.4 m)
全幅: 88 ft (26.8 m)
吃水: 11 ft 8 in (3.6 m)
機関: バブコック・アンド・ウィルコックス式重油専焼水管缶4基+三段膨張式二気筒レシプロ機関2基2軸推進
最大出力: 6,000hp
最大速力: 12ノット (22 km/h)
乗員: 315名
兵装: Mark I 38.1cm(42口径)連装砲1基2門
10.2cm(45口径)砲単装速射砲8基8門
7.62cm(45口径)単装高角砲2基2門
ヴィッカーズ機銃8基

テラー (HMS Terror, I03) は[1]イギリス海軍第一次世界大戦第二次世界大戦で運用したモニターエレバス級の2番艦。「HMS Terror」の艦名は、イギリス海軍で何代も踏襲されてきた。海軍休日時代、シンガポールに配備されていた[2]。1941年2月24日、北アフリカ戦線Ju87 スツーカの空襲により沈没した[3]

艦歴

建造経緯

フィッシャー第一海軍卿の指導により、イギリス海軍は42口径15インチ(38.1センチ)砲を搭載したモニター艦を建造し、マーシャル・ネイ級モニター英語版2隻が完成した[4]。ところが2隻ともディーゼルエンジンに問題を抱えており、イギリス海軍は幾度か建艦計画を変更したあと、最終的に新しいモニターを2隻建造して15インチ連装砲塔を積み替えることにした[5]。この新造艦2隻が、「エレバス」と「テラー」である[6]

「テラー」は、ハーランド・アンド・ウルフ社のベルファスト造船所で建造された[注釈 1]。1915年10月26日起工。1916年5月18日進水。予定どおり「マーシャル・ネイ」から撤去された15インチ連装砲塔が搭載された[6]。1916年8月6日、竣工した。

第一次世界大戦

第一次世界大戦中、15インチ砲モニター3隻(エレバス、テラー、マーシャル・ソウルト)はベルギー方面に配備された[8]。そしてドイツ占領下のベルギーオステンドゼーブルッヘ英語版フランス語版ドイツ帝国軍に対して攻撃を行った[8]。1917年10月18日、ダンケルク沖合でドイツ帝国海軍A級水雷艇英語版ドイツ語版3隻(A59、A60、A61)に襲撃され、魚雷3本が命中した[8]。浅瀬に座礁して沈没を防ぎ、サルベージされたのち、曳航されてポーツマスに移動し修理を行った[8]。1918年1月には戦線に復帰した[8]

戦間期

第一次世界大戦が終結すると、イギリス海軍は戦時急造艦の整理をおこない、多くのモニターが売却されて解体の運命を辿った[9]。在籍したモニターも、武装を撤去して雑務船やハルクに転用された[10]。エレバス級モニター2隻は、現役艦としてのこった[11]

1921年、イギリスが戦利艦として保有していたドイツ戦艦バーデン英語版ドイツ語版」が、標的艦となった[11]。「テラー」は射撃艦として砲撃試験に参加し、貴重なデータを収集した[11]

第一次世界大戦後のイギリス海軍は大日本帝国仮想敵国とし、イギリス領マラヤシンガポールを中核とした戦略を立案した[12]。シンガポール要塞の建設が一段落するまで、「テラー」はシンガポール海軍基地に派遣される[13]。1933年、「テラー」はシンガポールに派遣された[11]。1934年1月、僚艦と共に入港する[注釈 2]海防戦艦と報道されたこともある[1]。 1937年4月11日から13日にかけて、イギリス国王ジョージ6世戴冠記念観艦式に参列する日本海軍重巡足柄」が、シンガポールに立ち寄った[15]。イギリス海軍は空母「イーグル」を接伴艦にして出迎えたが、同港の海軍基地には「テラー」も停泊していた[注釈 3]。 1938年2月中旬にシンガポールの軍港開港式が施行されたときも、モニター艦(テラー)1隻が配備されていた[注釈 4][注釈 5]

第二次世界大戦

1939年9月の第二次世界大戦勃発時、「テラー」はシンガポールで改装中であり、イギリス本国に呼び戻されることになった[11]。1940年1月29日にシンガポールを離れ、3月11日にアレクサンドリアに、そして4月4日に英領マルタ英語版に到着した。その頃には地中海の雲行きが怪しくなっており、マルタ防衛用として同地に配備された[19]。1940年6月10日[20]イタリア王国枢軸陣営として第二次世界大戦に参戦する[21]マルタ島の「テラー」は、イタリア王立空軍 (Regia Aeronautica) のマルタ空襲に対して対空戦闘を行った。11月にはクレタ島スダ湾英語版に移った。

北アフリカ戦線では連合国軍が反転攻勢の準備を進めており[22]、「テラー」とインセクト級砲艦イギリス陸軍の支援に投入された[23]。12月9日のコンパス作戦では、「テラー」を含むモニターがシディ・バラニ英語版イタリア語版のイタリア軍に艦砲射撃を実施し、イギリス軍の進攻を支援した。また前線への水の輸送も行った。

1941年1月3日、バルディア攻防戦英語版に、地中海艦隊の主力艦と共に投入された[注釈 6]

バルディア占領後も英連邦軍の攻勢は止まらず、トブルク攻略に成功した。「テラー」はトブルク港に配備され、防御を固める。 折しも2月中旬にはエルヴィン・ロンメル将軍とドイツアフリカ軍団リビアトリポリに到着した[25]ゾネンブルーメ作戦)。既にドイツ空軍 (Luftwaffe) の第10航空兵団英語版ドイツ語版が地中海戦線に登場し、Ju 87 スツーカが活躍していた[26][27]。ロンメル軍団の反撃作戦を成功させるため、第1急降下爆撃航空団英語版第2急降下爆撃航空団英語版キレナイカに点在するイギリス軍港湾施設を攻撃する[3]

1941年2月17日、「テラー」はベンガジ守備のため駆逐艦「スチュアート」、「ヴァンパイア」に護衛されて、トブルクからベンガジに到着した。2月22日、ベンガジ港でJu 87による急降下爆撃を受けて損傷[3]。「テラー」はコルベットサルヴィア英語版」、掃海艇フェアハム英語版」と共にトブルクへ向かったが、出航時に至近で機雷が爆発しさらに被害を受けた。2月23日、トブルクへ向かう途中の「テラー」をスツーカ部隊が襲う[注釈 7]。「テラー」は至近弾による浸水で航行不能となり、2月24日にデルナ北西沖で沈没した[23]

脚注

注釈

  1. ^ 同社は、イギリス海軍の大口径砲塔搭載モニター艦を多数建造してきた[7]
  2. ^ 英艦續々入港 港賑はふ[14] 當地で來る二十三日より擧行される英國海軍司令官會議は支那艦隊旗艦ケントを會場として同艦隊司令長官ドレーヤ中将を主座として行はれる模様である。既報、ケント及サフォーク兩艦の當地到着に續き昨日航空母艦イーグル、砲艦レン及ヴェテランの三艦も入港し、又セレター海軍根據地の倉庫艦となる舊式装甲艦テロア號も到着した(以下略)
  3. ^ (中略)[16](一)總督ハ偶々旅行不在中ナリシガ海軍司令官ノ如キ午餐招待後自ラ本職副官及ビ艦長ヲネーバルベースニ案内スル等多分ノ好意ヲ表示シ尚同泊中ノ足柄イーグル士官室士官間ノ交歡又親密ニ行ハレ(因ニ當地在泊中艦船ハ右イーグルノ外ネーバルベースニ驅逐艦ダイアナ、モニトル、テラー外掃海艇九隻ナリ)(以下略)
  4. ^ 軍艦續々來航[17] シンガポール根據地を久しぶりに訪れる英國東インド艦隊旗艦ノーフォーク及びエメラルド兩艦(ともに巡洋艦)は司令官ラムゼイ中将統率のもとに本日午前來航、また同じく大演習に参加する印度海軍所属スループ艦インヴエスゲイター、インダス及びヒンダスタンの三隻も到着海軍根據地錨地に投錨した。大演習参加のため來航する軍艦は約三十隻に達するが目下海軍根據地にあるものは當地常駐の巡洋艦テラー号及び掃海艇九隻を合せて左の二十四隻である △巡洋艦 ― ドーセットシャー號、ノーフォーク號、エメラルド號、テラー號 △航空母艦 ― イーグル △嚮導驅逐艦 ― メドウエー △驅逐艦 ― ダンカン、デインチー、デコイ、ダイヤモンド、デフェンダー、ウエスコット(スループ、その他略)
  5. ^ 四、軍備[18] 英國政府は豫て新嘉坡根據地の急速完成と大海軍及び大空軍の派遣を期して鋭意諸工事を進めてゐたが、一九三八年二月十四日大乾船渠が竣工し、盛大なる軍港開港式を擧行した。又同根據地建設に當つては、濠州・ニュージーランド・香港等の各自治領政府より多額の献金をなすと共に和蘭國とも或る種の諒解があるやの噂さへある。/最近當根據地の防備強化に伴ひ、完成に要する總公費は約二千二百萬磅の巨額となり、當初の計畫の二倍に達してゐる。
    海軍 新嘉坡の常駐海軍力は概ね次の如くであるが、前記主力艦用大乾船渠の完成に伴ひ、近き将來には主力艦隊が極東方面に派遣せられ、新嘉坡を基地として行動するものと察せらる。
    モニター 一隻 驅逐艦 二隻 掃海艇(アビングトン型) 九隻(以下略)
  6. ^ 戦艦「ウォースパイト」、「ヴァリアント」、「バーラム」、空母「イラストリアス」など[24]
  7. ^ 指揮官は、第2急降下爆撃航空隊のヘルムート・マールケ英語版ドイツ語版大尉であったという。

出典

  1. ^ a b 一九三六年の為に 1934, p. 146(原本251頁)シンガポール 海防戰艦 Terror 三八糎砲二
  2. ^ 太平洋戦略序論 1941, p. 43(原本68-69頁)
  3. ^ a b c Ju87、北アフリカ・地中海戦線 2003, p. 45.
  4. ^ 艦艇学入門 2000, pp. 254–257一五インチ砲モニター出現
  5. ^ 艦艇学入門 2000, pp. 259a-263再登場した一五インチ砲艦
  6. ^ a b 艦艇学入門 2000, p. 260.
  7. ^ 艦艇学入門 2000, pp. 253–254.
  8. ^ a b c d e 艦艇学入門 2000, pp. 260–261.
  9. ^ 艦艇学入門 2000, pp. 271–275大戦間のモニターの境遇
  10. ^ 艦艇学入門 2000, p. 272.
  11. ^ a b c d e 艦艇学入門 2000, pp. 274–275.
  12. ^ 太平洋戦略序論 1941, pp. 106–110(原本195-202頁)シンガポール海軍根據地
  13. ^ Hoji Shinbun Digital Collection、Singapōru Nippõ, 1934.02.09、2023年5月20日閲覧 日本海軍の増大と新嘉坡の防備 海軍會議の重要性を説く バイウオーター氏評論 
  14. ^ Hoji Shinbun Digital Collection、Singapōru Nippõ, 1934.01.16、2023年5月20日閲覧
  15. ^ 仰ぐ櫓型艦橋の威容 遣英軍艦"足柄"を迎ふ 碇泊三日・在留民との交歡”. Singapōru Nippō, 1937.04.12. pp. 03. 2024年6月29日閲覧。
  16. ^ 軍艦足柄関係電報 1937, pp. 24–25.
  17. ^ Hoji Shinbun Digital Collection、Singapōru Nippõ, 1938.01.27、2023年5月20日閲覧 (シンガポール配備の艦艇一覧)
  18. ^ 太平洋二千六百年史 1941, p. 456原本806-807頁
  19. ^ 艦艇学入門 2000, pp. 278–281第二次大戦の最後の戦場
  20. ^ Ju87、北アフリカ・地中海戦線 2003, p. 43.
  21. ^ ウォースパイト 1998, p. 158.
  22. ^ ウォースパイト 1998, pp. 173–176第二次バルディア砲撃
  23. ^ a b 艦艇学入門 2000, p. 279.
  24. ^ ウォースパイト 1998, p. 174.
  25. ^ ロンメル戦車軍団 1984, pp. 8–11, 15.
  26. ^ Ju87シュツーカ 1983, pp. 42a-44地中海と北アフリカ(1941年1月~1943年5月)
  27. ^ ウォースパイト 1998, pp. 176–178ルフトバッファ(ドイツ空軍)の参戦

参考文献

  • 石橋孝夫『艦艇学入門 軍艦のルーツ徹底研究』光人社〈光人社NF文庫〉、2000年7月。ISBN 4-7698-2277-4 
  • ジョン・ウィール「第4章 北アフリカ戦線」『北アフリカと地中海戦線のJu87シュトゥーカ 部隊と戦歴』手島尚 訳、株式会社大日本絵画〈オスプレイ軍用機シリーズ31〉、2003年3月。 ISBN 4-499-22805-0 
  • ジョン・ジョーダン『戦艦 AN ILLUSTRATED GUIDE TO BATTLESHIPS AND BATTLECRUISERS』石橋孝夫(訳)、株式会社ホビージャパン〈イラストレイテッド・ガイド6〉、1988年11月。 ISBN 4-938461-35-8 
  • V.E.タラント「第八章 ― カニンガムの池」『戦艦ウォースパイト 第二次大戦で最も活躍した戦艦』井原祐司 訳、光人社、1998年11月。 ISBN 4-906631-38-X 
  • アレックス・バナグス-バギンスキス ALEX VANAGS-BAGINSKIS、横森周信(訳)、渡辺利久(イラスト)『Ju 87 STUKA Ju87シュツーカ』株式会社造形者ジャパン(原著作権所有者)、株式会社河出書房新社〈世界の偉大な戦闘機(8)〉、1983年6月。 
  • ケネス・J・マクセイ『ロンメル戦車軍団 独英、砂漠の対決』加登川幸太郎 訳 、株式会社サンケイ出版〈第二次世界大戦文庫3〉、1984年12月。 ISBN 4-383-02355-X 
  • 月間雑誌「丸」編集部編『丸季刊 全特集 写真集 ドイツの戦艦 ド級前戦艦から戦艦まで全37隻のすべて THE MARU GRAPHIC WINTER 1977』株式会社潮書房〈丸 Graphic・Quarterly 第27号〉、1977年7月。 

関連項目

外部リンク


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