ティンダル聖書
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ウィリアム・ティンダル はオクスフォード大学卒業の司祭であり、ルターがヴィッテンゲンに論文を投稿して教会内での問題に巻き込まれていた頃には、ケンブリッジの学生であった。1523年、ティンダルは聖書の文章を英語にして配布し始める。彼の目的は単純にして野心的だった。「我はローマ教皇及びその全ての法を拒む。そしてもし神がわが命を護り給うならば、遅からず鍬を持つ少年すらも汝が知るより多くのことを知ることになろう。」そして彼は新約聖書と一部の旧約聖書を生前に出版することができた。 援助と激励を求めて彼はロンドンに出てくるのだが、両方とも得ることは無かった。「ロンドンの司教の宮殿には新約聖書を翻訳するような場所はなかった」と彼はかつて言ったが、イングランド全土にそもそもそのような場所が無かったのである。ロンドンの富裕商人から贈られた10ポンドを使って、彼は海峡を渡ってハンブルクに赴き、大陸の各地を転々としながら身を隠し、イギリスよりも使用することが容易かった印刷機を使って彼は翻訳を完成するのである。ティンダルは、あるときは数枚の印刷原稿をもって逃げ出し、別の印刷機で完成させるなどということもやらざるを得なかったし、彼の本は何度も焼かれ、彼の命も危険に晒された。 そうしたティンダルのエピソードにはこんなものもある。ロンドンの司教Tunstallは英語訳聖書を撲滅しなければならず、アントウェルペンの商人に英語聖書を差し押さえてもらう契約を結んだ。この商人はティンダルの友人だったので、ティンダルにこう持ちかけた。聖書関連の顧客、つまりはロンドン司教が英訳聖書を買い取るつもりだと。ティンダルはこの商人に彼の英訳聖書を渡して、彼の負債を払ってもらい、新しい版の聖書のための財政支援をしてもらったという。 教会がティンダルの翻訳に反対したのは、その攻撃的な欄外注釈(有害注釈)と反聖職者的で異端的見解を広めるための(教会が言うところの)故意の誤翻訳がその中には含まれていたからである。このために、ティンダル訳の初期の版は徹底的に取り締まられてほとんど残っていない。ティンダルも最後には死刑になっている。 しかし、後の欽定訳聖書(KJV)にはティンダルの仕事の大半が反映されており、このためにティンダルは欽定訳聖書(KJV)の父と考えられている。欽定訳の新約聖書90%近くがティンダルのものと考えられており、約3分の1はティンダルとまったく同一である。旧約聖書についても、ティンダルが手をつけた部分に限れば似たような割合になっている。
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