チンギス・ハンも前半生が謎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 01:18 UTC 版)
「義経=ジンギスカン説」の記事における「チンギス・ハンも前半生が謎」の解説
チンギス・ハンについては生年や前半生が不明な点が多いことや、モンゴル民族が元来文字を持たなかったため僅かしか文献が残っておらず、口伝・口承による物しかなくよくわかっていない。青年時に約10年行方不明になっているが、この空白期間を史学者が何をしていたのか特定できず、 「#二人の年表」も参照 義経がその時期日本で活躍していることなどから、この説を複雑化している。チンギス・ハンと名乗る前のテムジン時代に妻のボルテをメルキト族に奪われたり、テムジン本人の母ホエルンもイェスゲイによって略奪されており、遊牧民、騎馬民族は略奪婚が多かったのも事実で、本当に系譜が正しいのか文献が遺されていないのも手伝って不確定な要素が多い。杉山正明も岡田英弘もチンギス・ハンの前半生はよくわからないと述べている。また江上波夫の「騎馬民族国家」によれば、たとえ血縁がなくとも実力さえあれば氏・部族長らによって君主として推戴・承認を受けることができるとしているとし、日本人でもなれる可能性を示唆している。また、作家の中津文彦は遊牧民族、騎馬民族の集団は、世襲、序列などにこだわず、 優秀な人材と信じた者をリーダーに選び、 場合によっては人種の違いさえも厭わず、チンギス・ハンがモンゴル族の出身でなかったことも、その証左である。と「義経不死伝説」の中で書いている。
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