チューインガム誕生~全盛期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 00:50 UTC 版)
「ハリス (菓子メーカー)」の記事における「チューインガム誕生~全盛期」の解説
そしてハリスの代名詞ともなるチューインガムを開発する。チューインガムは既に30年前、アメリカのリグレー社で天然チクルを使ったものがあり、輸入されて国産化もされていたが、本格的に販売していたのはロッテなどのわずかだった。そこで森は、近くにあったカネボウの研究室でGPチクル(酢酸ビニール)を見て、これを使って代用のチューインガムができないかを考え、温度に敏感な酢酸ビニールを改良し、1951年(昭和26年)に発売した。このハリスチューインガムは菓子業界空前のヒット商品と言われた。森は推されて日本菓子工業会副会長の要職に就き、1952年(昭和27年)に社名もハリス株式会社に変えた。ハリスからの連想でリスをシンボルマークとし、本社入口にはリスの飼育ケージを作った。 チューインガムの拡販をねらって、新聞広告やラジオ・コマーシャルでPRを開始した。ラジオ番組「ハリスクイズ」の司会者として、当時京都学芸大学(現京都教育大学)の学生で腹話術を得意とした川上のぼる、および朝日放送と専属契約したばかりの森光子を起用、各地の小学校などを巡回して週一回30分の番組を録取した。川上が抱いた腹話術人形の「ハリス坊や」がクイズ正解者に白目を出して「一等賞~」と声を張り上げる姿は流行し、朝日放送の看板番組となった。 1956年(昭和31年)には主人公を「ハリス少年」と名付け、シェパードが活躍する子ども向けウエスタンTV映画『名犬リンチンチン』の提供を始めた。また1958年(昭和33年)には、業界第1号となるチューインガムの自動販売機を国栄機械製作所(現 グローリー株式会社)製として開発し、普及させた。「GPミントガム」「グリーンガム」「コーヒーガム」「ニッキガム」「ビックガム」「フーセンハリスガム」「ヤングハリスガム」「スペアミントガム」「ノーブルミントガム」「デリシャスジュースガム」「プレイガム」「ハイフレッシュガム」などのチューインガムを次々と開発・発売し、1960年(昭和35年)にはチューインガムだけで年間売上45億円、シェア40%、従業員1000人に拡大していった。この頃、森は推されて日本チューインガム協会の会長に就き、さらにGPチクルを増産するため、また関東進出もあって、神奈川県小田原市今井(現寿町)に敷地1.5万坪、5階建ての小田原工場を建てた。この建物は現在もカネボウ化粧品の工場として使用されている(「ハリスガム」の生産を他工場に移し、閉鎖された東京工場から化粧品生産ラインを移管)。
※この「チューインガム誕生~全盛期」の解説は、「ハリス (菓子メーカー)」の解説の一部です。
「チューインガム誕生~全盛期」を含む「ハリス (菓子メーカー)」の記事については、「ハリス (菓子メーカー)」の概要を参照ください。
- チューインガム誕生~全盛期のページへのリンク