チャック・ノリスの自叙伝による述懐
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「地獄のヒーロー」の記事における「チャック・ノリスの自叙伝による述懐」の解説
チャック・ノリスの自叙伝によれば、ベトナム戦争で戦死した弟ウィーランドに捧げる映画を作りたいと以前から切望していた彼のもとに、ランス・フールによって『地獄のヒーロー2』の脚本が持ち込まれた。悲壮を極めたベトナム戦争によって行方不明になったままの2000人もの米軍兵士のためにも、ぜひこの映画を作りたいとの意で、ランスとチャックの2人は熱心に映画会社を口説いて回ったが、ハリウッドの誰もがそんな脚本に関心を示さなかった。 1980年代初頭の時代背景と言えば、イランで1年以上も拘束されているアメリカ市民のニュースがトップ扱いであった。その後、ロナルド・レーガンの大統領就任により拘束されていたアメリカ市民が解放されたことで、国民の気分は高揚していたにもかかわらず、アメリカ兵士が外国で囚われるような映画はもう誰も観たくないであろう。それが当時のハリウッドの主流の考え方であったという。 チャックは諦めずに映画会社を回り、この映画はベトナムで戦った兵士を讃えるだけではなく、興行的にも大成功間違いなしだと説得した。ようやくキャノン・フィルムが映画製作に同意した。 チャックは完成した映画の反響を確認するため、ハリウッドの試写会ではなく、一般の映画館の公開初日に『地獄のヒーロー』を観に行った。いつものように彼は、プロの評論家の意見よりも観客の反応が知りたかったからである。ブラドックがクライマックスで、いまだに米兵たちがベトナムで捕らえられていることを証明した時、観客全員が総立ちで拍手喝采した。その歓声を聞いてチャックは、自分たちがそれまでに映画に注いだ努力が報われるような思いがした。 『地獄のヒーロー』は、公開1週目で600万ドルの興行成績を叩き出し、当時としては記録的な大ヒット作となった。また、チャックのそれまでの主演作と違い、好意的な映画評が多数書かれた。しかしチャックにとっての最高の賛辞は、ベトナム帰還兵の父を持つある女性の言葉だった。「父が泣いたのを生まれて初めて見ました」 チャックは、ベトナムで死んだ弟ウィーランドと、その他数多くのベトナム戦死者の霊を慰めることができたのなら本当に嬉しいと思った。と綴っている。
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