チェーホフとの出会い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/27 06:40 UTC 版)
「オリガ・クニッペル」の記事における「チェーホフとの出会い」の解説
オリガが30歳の誕生日を迎えた9月9日の、戯曲『かもめ』の下稽古中、彼女はこの戯曲の作者で当時38歳のアントン・チェーホフと出会った。その後数年間、オリガとチェーホフは電報と手紙を交わし合った。その間に、オリガはチェーホフの妹マーシャと親しくなった。遊び心に溢れ、しつこい不定期な手紙は、互いに遠く離れて暮らしていても、次第に愛情と同情の溢れる手紙となっていった。オリガの本質は文通した手紙の中で輝いていた。彼女の一時的なむら気、移り気な気質、それらが突発的な高尚な精神と組み合わさり、病がちのチェーホフを元気にさせていた。1900年冬、チェーホフは療養していたヤルタから戻ってモスクワへ向かった。彼は心の中の愛しい女優のため書いた新しい戯曲を携えていた。「『三姉妹』の中のどんな部分にも私はあなたを念頭においていたのです。10ルーブル下さい。そして戯曲を自分の物にしてください。そうでなければ、私は他の女優にこの作品をあげてしまうでしょう」と、チェーホフはオリガに書き送った。 多くの類似点がオリガと、チェーホフの書いた『三姉妹』の登場人物マーシャの間にあった。オリガは一男三女の兄弟の真ん中の娘を演じた。4人のうち唯一の既婚者で、3人姉妹のうち最も才能ある人物である。教養があり洗練された若い女性として描かれ、フランス語・ドイツ語・英語を話せる。そして第一級のピアニストであるという、オリガ自身の才能に非常に似ていることは間違いない。オリガは、楽しんでチェーホフが描いたというマーシャ役を、自分への賞賛として受け取った。 チェーホフとオリガは、1901年5月25日に歓喜の十字架教会で挙式した。それは突然で、誰も、チェーホフの母と妹、オリガの母ですら知らされないままの小さな結婚式だった。親しい友人と家族の多くがその秘密主義に傷ついた。1902年頃、オリガが流産を経験したと、2人の文通の内容を根拠に指摘する研究者がいる。2人の結婚生活はわずか3年にも満たなかった。夫チェーホフは、1904年7月に肺結核で死去した。 オリガ・レオナルドヴナ・クニッペル=チェーホワは、その後もモスクワ芸術座を代表する女優として舞台に立ち続けた。 1959年3月22日、オリガはモスクワで、89年の生涯を閉じた。
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