チェーホフ作品の翻訳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/28 08:17 UTC 版)
ニコライ神学校にはロシアから定期的に文学などの書籍が寄贈され、夏葉はそれらを翻訳していた。アントン・チェーホフが自ら改稿・校閲した『チェーホフ全集』もこの中にあり、最初に翻訳した『月と人』と『写真帖』はこれに典拠している。夏葉にピアノを教えたラファエル・フォン・ケーベルはチェーホフを愛読していたため、ケーベルからチェーホフの存在を教えられたという説もあるが、夏葉自身は翻訳を始めてからケーベルが読んでいる事を知った、と記している。1908年に獅子吼書房から刊行された夏葉訳による『露国文豪 チエホフ傑作選』は、『日本及日本人』や『女子文壇』で翻訳を高く評価され、冒頭に配した『六号室』は島崎藤村らから特に好評を博した。「最初の日本語訳がロシア語の原文から直接行われた事は、ドストエフスキーやトルストイに比べてチェーホフにとって幸運であり、この短篇集は日露文学関係史において重要な存在となった」とロシアでは評価されている。 短編小説を中心に翻訳したのは、本人の好みだけではなく、4男3女を育てて夫の来客にも対応するという時間的な制約の影響が指摘されている。サンクトペテルブルク滞在中にオペラや芝居を観劇し、日本でも自由劇場が設立されるなどの近代演劇への関心が高まっていた事を受け、2度目のロシアからの帰国後は戯曲作品の翻訳に注力した。夏葉は、紅葉の意見と同じようにチェーホフをユーモア作家と考えており、『カシタンカ』や『六号室』を好きな作品に挙げている。
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