チェキッ娘時代
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『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』(フジテレビ)でバラエティ番組『DAIBAッテキ!!』(フジテレビ)のオーディション告知を視てこれに応募、同オーディションに合格し、1998年10月9日より、アイドルグループ・チェキッ娘のメンバー(チェキッ娘ID004)となり芸能界デビュー。『DAIBAッテキ!!』では、『チェキッ娘学園』のコーナーなどで、『利佳、わかんな〜い』のセリフなどで人気となる。また、『はじまり』、『最初のキモチ』、『海へ行こう〜Love Beach Love〜』、『ありがとう』のそれぞれのシングルにおいては、フロントメンバー(メインボーカル)を務めた。同じチェキッ娘メンバーだった加藤真由とは、お互いの実家が近所同士で小学生時代から顔見知りでもあったという。 翌1999年1月、『DAIBAッテキ!!』のコーナーでバンド・chee'sを結成。当初新井の担当はキーボードとボーカルだったが、後にベースとボーカルに変更になる。『篠原ともえと夏休み 1999ともえちゃんまつり』(フジテレビ『BANG PARK』内イベント)では、篠原ともえ、吉田建と3人でベース漫談を披露していた。
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チェキッ娘時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 04:06 UTC 版)
1998年11月19日、バラエティ番組『DAIBAッテキ!!』(フジテレビ)のオーディションに合格、女性アイドルグループチェキッ娘のメンバーとなる(チェキッ娘ID012)。チェキッ娘時代は、寒いギャグ(「何をいってんごりっとる」「ちょっとまちこ」等)を連発するなどして人気を集めた。このギャグは、それを書いて送って来たファンの手紙の内容をみんなと共有したくて言わせてもらっていたということで、気が付いたら番組の台本にも書かれるようになっていたという。また『DAIBAッテキ!!』の懺悔コーナーの企画で、いつも寒いギャグを言ってみんなを困らせたと懺悔したら、許しが得られず上から水を被ったということがあった。 また、当時から歌唱力に優れ、チェキッ娘の曲の中では『はじまり』、『最初のキモチ』、『海へ行こう〜Love Beach Love〜』、『ありがとう』のそれぞれのシングルにおいてフロントメンバーを務めるなど、リードボーカルを担当することが多かった。特に『海へ行こう〜』では全体を通してパートが与えられていた。 さらに、チェキッ娘のグループ内ユニットであるchee's、M@Mなどにも所属し、数曲をレコーディングしている。チェキッ娘時代にはファンに自宅や学校まで押しかけられる等ストーカー行為をされたと元アイドルの対談で明かしている。 この当時、仕事の影響で友人関係などがうまく行かなくなったなどで学業と芸能活動の両立が難しくなったことがあり、本気で高校を辞めたいと思い『DAIBAクシン!!cheki b.』で共演していた笑福亭鶴瓶に相談したところ、鶴瓶に「絶対高校辞めたらあかん。高校辞めるなら芸能界も辞めえや。両方やるのが基本やから、学校やめたら仕事もダメになるし、きっと後悔する」などと諭され、退学は思い留まったという。
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