ダニエル・ポンセデレオン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/15 07:53 UTC 版)
シカゴ・ホワイトソックス(マイナー) | |
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セントルイス・カージナルス時代(2019年3月3日)
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基本情報 | |
国籍 | ![]() |
出身地 | カリフォルニア州ロサンゼルス郡ラ・ミラダ |
生年月日 | 1992年1月16日(31歳) |
身長 体重 |
6' 4" =約193 cm 185 lb =約83.9 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2014年 MLBドラフト9巡目 |
初出場 | 2018年7月23日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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ダニエル・ポンセデレオン(Daniel Ponce de Leon, 1992年1月16日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス郡ラ・ミラダ出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。MLBのシカゴ・ホワイトソックス傘下所属。
経歴
プロ入り前
ラ・ミラダ高等学校在学中の2010年、MLBドラフト24巡目(全体731位)でタンパベイ・レイズから指名されたが契約を結ばず、アリゾナ大学に進学し大学野球に参加した[1]。
アリゾナ大学初年度の2011年に3イニングだけ投げ、翌2012年にサイプレス大学に転校した。2012年はMLBドラフト38巡目(全体1162位)シンシナティ・レッズから指名されたがここでも契約を結ばず、翌2013年にヒューストン大学へ転入した[2]。
2013年はMLBドラフト14巡目(全体408位)でシカゴ・カブスから指名され契約を結んだが、身体検査で肘の神経に問題があるとされ、ヒューストン大学に戻ることにした。全米大学体育協会はヒューストン大学に戻ることはできないと判断し、ポンセデレオンはエンブリー・リドル航空大学へ転校した[3]。
プロ入りとカージナルス時代
2014年のMLBドラフト9巡目(全体285位)でセントルイス・カージナルスから指名され、契約を結んだ[4]。契約後の6月20日にカージナルス傘下のA-級ステート・カレッジ・スパイクスでプロデビュー。この年はA-級で12登板(10先発)し、防御率2.44を記録した。
2015年はA級ピオリア・チーフスでシーズン開幕を迎え、13先発・防御率2.47を記録。7月にA+級パームビーチ・カージナルスに昇格して、7登板(6先発)・防御率1.49を記録した。
2016年はAA級スプリングフィールド・カージナルスでシーズン開幕を迎え、27先発・防御率3.52を記録した。
2017年はAAA級メンフィス・レッドバーズでシーズン開幕を迎え、6先発・防御率2.17を記録した。同シーズン中最後の登板となった5月9日のアイオワ・カブスとの試合中、ビクター・カラティーニのライナー性の打球が頭部を直撃し、頭蓋骨骨折と急性硬膜下血腫を受傷。緊急手術となり、2週間集中治療室で治療を行った[5][6]。手術から3週間後に退院したが、シーズンの残りは全休となった[7]。
2018年のスプリングトレーニングでケガから復帰し、チームに合流した。シーズン開幕はAAA級メンフィスで迎えた。6月11日にメジャー昇格を果たした[8]ものの、登板せずAAA級メンフィスに戻された。7月23日に再びメジャー昇格し、同日のレッズ戦でメジャー初登板・初先発。この試合では7.0回を投げて無安打・無失点の内容であったが、チームは9回に逆転負けとなり勝利投手とはならなかった[9]。
2019年は13試合(うち先発8)、2020年は9試合(うち先発8)に登板し、それぞれ1勝を挙げた[10]。
2021年は主にリリーフとして24試合に登板したが、防御率6点台と成績が悪化し、9月20日にDFAとなり、23日に自由契約となった[10]。
エンゼルス傘下時代
2022年1月24日にロサンゼルス・エンゼルスとマイナー契約を結び[10]、スプリングトレーニングに招待選手として参加したが、4月3日に自由契約となった[10]。
マリナーズ傘下時代
2022年4月9日にシアトル・マリナーズとマイナー契約を結んだ[10]。開幕はAAA級タコマ・レイニアーズで迎え、16試合に先発登板したが、5勝8敗、防御率7.95という成績に終わり、7月17日に自由契約となった[10]。
ナショナルズ傘下時代
2022年7月22日にワシントン・ナショナルズとマイナー契約を結んだ[10]。AAA級ロチェスター・レッドウィングスで7試合に先発登板し、1勝3敗、防御率5.65を記録した。9月5日に自由契約となった[10]。
タイガース傘下時代
2022年9月9日にデトロイト・タイガースとマイナー契約を結んだ[10]。AAA級トレド・マッドヘンズで3試合に先発登板し、3勝0敗、防御率1.69を記録した。11月10日にFAとなった[10]。
ホワイトソックス傘下時代
2023年4月12日にシカゴ・ホワイトソックスとマイナー契約を結んだ[10]。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2018 | STL | 11 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | .000 | 132 | 33.0 | 24 | 2 | 13 | 0 | 1 | 31 | 0 | 0 | 10 | 10 | 2.73 | 1.12 |
2019 | 13 | 8 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | .333 | 203 | 48.2 | 36 | 6 | 26 | 3 | 2 | 52 | 2 | 0 | 21 | 20 | 3.70 | 1.27 | |
2020 | 9 | 8 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 0 | 0 | .250 | 143 | 32.2 | 23 | 8 | 20 | 0 | 2 | 45 | 0 | 0 | 18 | 18 | 4.96 | 1.32 | |
2021 | 24 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 2 | 0 | .500 | 158 | 33.1 | 32 | 5 | 22 | 1 | 5 | 24 | 2 | 0 | 24 | 23 | 6.21 | 1.62 | |
MLB:4年 | 57 | 22 | 0 | 0 | 0 | 3 | 8 | 3 | 0 | .273 | 636 | 147.2 | 115 | 21 | 81 | 4 | 10 | 152 | 4 | 0 | 73 | 71 | 4.33 | 1.33 |
- 2021年度シーズン終了時
年度別守備成績
年 度 |
球 団 |
投手(P) | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
||
2018 | STL | 11 | 6 | 3 | 1 | 1 | .900 |
2019 | 13 | 3 | 4 | 0 | 1 | 1.000 | |
2020 | 9 | 4 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | |
2020 | 24 | 4 | 2 | 1 | 0 | .857 | |
MLB | 57 | 17 | 10 | 2 | 2 | .931 |
- 2021年度シーズン終了時
背番号
- 62(2018年 - 2020年)
- 32(2021年)
脚注
- ^ Post-Dispatch store. “BenFred: Poncedeleon finds home with Cards | Ben Frederickson”. stltoday.com. 2018年7月24日閲覧。
- ^ Duarte, Joseph (2013年6月9日). “UH pitcher Poncedeleon signs contract with Cubs - Sports Update”. Blog.chron.com. 2018年7月24日閲覧。
- ^ Halsted, Alex (2018年5月24日). “Poncedeleon drafted for fourth time as Cards pick righty”. MLB.com. 2018年7月24日閲覧。
- ^ Hummel, Rick. “Cards take pitcher coming off elbow surgery | St. Louis Cardinals”. stltoday.com. 2018年7月24日閲覧。
- ^ Sattell, Glenn (2018年5月24日). “Redbirds' Daniel Poncedeleon hit by line drive”. MLB.com. 2018年7月24日閲覧。
- ^ Langosch, Jenifer. “Daniel Poncedeleon returning form brain injury”. MLB.com. 2018年7月24日閲覧。
- ^ Post-Dispatch store (2018年2月22日). “Almost a year after frightening injury, Poncedeleon readies for 'just another game' | Derrick Goold: Bird Land”. stltoday.com. 2018年7月24日閲覧。
- ^ AP (2018年6月11日). “Cardinals bring up Poncedeleon, send down Voit”. FOX Sports. 2018年7月24日閲覧。
- ^ Trezza, Joe (2018年7月23日). “Poncedeleon throws 7 no-hit innings in debut”. MLB.com. 2018年7月24日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k MLB公式プロフィール参照。2023年4月14日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- Daniel Poncedeleon stats MiLB.com (英語)
- Daniel Poncedeleon (@_ponce14) - X(旧Twitter)
ダニエル・ポンセ・デ・レオン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/24 10:24 UTC 版)
基本情報 | |
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本名 | ダニエル・ポンセ・デ・レオン |
通称 | El León |
階級 | スーパーフェザー級 |
身長 | 165cm |
リーチ | 178cm |
国籍 | ![]() |
誕生日 | 1980年7月27日(44歳) |
出身地 | チワワ州シウダー・クアウテモック |
スタイル | サウスポー |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 52 |
勝ち | 45 |
KO勝ち | 35 |
敗け | 7 |
獲得メダル | ||
---|---|---|
男子 ボクシング | ||
![]() |
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パンアメリカン競技大会 | ||
銅 | 1999 | フライ級 |
ダニエル・ポンセ・デ・レオン(Daniel Ponce de León、1980年7月27日 - )は、メキシコの男性プロボクサー。チワワ州シウダー・クアウテモック出身。元WBO世界スーパーバンタム級王者。元WBC世界フェザー級王者。世界2階級制覇王者。2000年のシドニーオリンピックにメキシコ代表としてフライ級で出場している。
来歴
アマチュア時代
フリオ・セサール・チャベス、マルコ・アントニオ・バレラに憧れ、早い時期からボクシングを始めた。
1999年、パンアメリカン競技大会にフライ級(51kg)で出場するが準決勝でホセ・ナバーロに敗退。ヒューストンで開催された1999年世界ボクシング選手権大会にフライ級(51kg)で出場するが1回戦で敗退[1]。
2000年にフライ級のメキシコ代表としてシドニーオリンピックに出場。しかし、1回戦でウクライナのウラジミール・シドレンコと当たり、敗退した。
プロボクサー時代
五輪出場後にプロ転向、2001年3月31日、チワワ州シウダー・フアレスでプロデビューする。デビューから11戦連続KO勝利を収めた。
2002年8月17日、WBC世界バンタム級ユース王座を3回TKO勝ちを収め獲得した。
その後も連続KO勝利の記録を伸ばし、2004年6月11日、判定勝利となり21戦連続で記録は途絶えた。
2004年10月22日、NABO北米スーパーバンタム級王座を獲得した。
2005年2月17日、IBF世界スーパーバンタム級挑戦者決定戦で、後のWBA世界スーパーバンタム級王者セレスティーノ・カバジェロと対戦し、初の敗北を喫する。
2005年10月29日、タイのソッド・ゴーキャットジムと空位のWBO世界スーパーバンタム級王座決定戦で対戦し、12回3-0(118-109、2者が115-112)の判定勝ちを収め、王座獲得に成功した。
2006年5月27日、ホーム・デポ・センター・テニスコートでジェイソン・ゲレーロと対戦し、2回TKO勝ちで初防衛に成功した。
2006年7月15日、王座決定戦で対戦しているソッド・ゴーキャットジムとMGMグランド・ガーデン・アリーナで再戦。開始早々の打ち合いからペースを上げて、強引にボディーの打ち分けから上部にパンチを当て、カウンターの左ストレートでソッドは前のめりにうつ伏せで大の字に失神。レフェリーがカウントを途中でストップ。当時スーパーバンタム級世界戦2番目に早い(現在は3番目)KO決着となる初回52秒KO勝ちを収め2度目の防衛に成功した。ソッドはドクターの介抱を受けながら酸素マスクで応急措置を取った後病院に直行することになった。
2006年10月21日、エルパソのドン・ハスキンズ・センターでIBA世界スーパーバンタム級王者アル・シーガーと対戦し、8回1分43秒TKO勝ちでWBO王座は3度目の防衛、IBA王座獲得に成功した。
2007年3月17日、マンダレイ・ベイ・イベント・センターでジェリー・ペニャロサと対戦し、12回3-0(2者が119-109、120-108)の大差判定で完勝しWBO王座は4度目、IBA王座は初防衛に成功した。
2007年8月11日、サクラメントのアルコ・アリーナでレイ・バウティスタと対戦し、初回2分30秒TKO勝ちで5度目の防衛に成功した。コンビネーションから右フックでダウンを奪い、カウント中にふらついたボーティスタを試合再開後に2度目のダウンを左ストレートで捕えそのままレフェリーストップを呼び込んだ。
2007年12月8日、MGMグランド・ガーデン・アリーナでエデュアルド・エスコベドと対戦し12回3-0(115-113、117-111、118-110)の判定勝ちでWBO王座の6度目の防衛に成功した。
2008年6月7日、アトランティックシティのボードウォーク・ホールでファン・マヌエル・ロペスと対戦し、ポンセ・デ・レオン有利との試合前の予想に反し、初回2分25秒TKO負けを喫し、7度目の防衛に失敗し、王座から陥落した。
2009年4月25日、キンタナ・ロー州コスメルでマーロン・アギラと空位のNABF北米フェザー級王座決定戦を行い、12回3-0の判定勝ちで王座獲得に成功した。
2010年2月20日、オルランド・クルスと空位のWBCラテンアメリカフェザー級王座決定戦を行い、3回2分37秒KO勝ちで王座獲得に成功した。
2010年9月19日、ロサンゼルスのステイプルズ・センターにてアントニオ・エスカランテとWBO世界フェザー級挑戦者決定戦を行い、左から返しの右フックでエスカランテを大の字に沈め3回2分40秒KO勝ち[2]。
2011年3月5日、アナハイムのホンダセンターでエイドリアン・ブローナーと空位のWBOインターコンチネンタルフェザー級王座決定戦を行い、0-3の判定負け王座獲得に失敗した。なおこの試合が専門家の間で評価が割れ、ポンセ・デ・レオンが勝ったと言う声が多かった。
2011年9月10日、アトランティックシティの ボードウォーク・ホール・ダンスホールでユリオルキス・ガンボアと対戦し、8回に偶然のバッティングによる負傷でポンセ・デ・レオンの試合続行が不可能になった為、8回0-3(2者が72-80、73-79)の負傷判定でガンボアに敗れた[3]。
2012年1月21日、バハ・カリフォルニア州エンセナーダのボデガ・デル・ボクセオで空位のWBC全米フェザー級王座をオマール・エストレラと争い、6回1分31秒KO勝ちで王座獲得に成功した。
2012年9月15日、MGMグランド・ガーデン・アリーナでWBC世界フェザー級王者ジョニー・ゴンサレスと対戦し、8回2分36秒3-0(2者が79-72、77-74)の負傷判定勝ちを収め、4年ぶりに世界王座に返り咲くと共に2階級制覇を達成した[4]。
2013年5月4日、MGMグランド・ガーデン・アリーナで前WBC世界スーパーバンタム級王者のアブネル・マレスと対戦し、9回2分20秒TKO負けで王座から陥落した[5]。
2014年3月15日、プエルトリコバヤモンのルーベン・ロドリゲス・コロシアムでダニー・ガルシアVSマウリシオ・ヘレーラの前座でファン・マヌエル・ロペスとWBOインターナショナルスーパーフェザー級王座決定戦を行い初回にダウンを奪ったが、2回に左フックでダウンを奪われるとその後右フックでダウンを奪われ最後は連打をまとめられてレフェリーストップ。2回2分44秒TKO負けで6年振りの再戦でリベンジに失敗した。
2014年6月7日、ミゲル・ローマンと対戦し、9回TKO負けを喫した。ポンセ・デ・レオンは試合後に引退を発表した[6]。
獲得タイトル
- WBC世界バンタム級ユース王座
- NABO北米スーパーバンタム級王座
- WBO世界スーパーバンタム級王座
- IBA世界スーパーバンタム級王座
- NABF北米フェザー級王座
- WBCラテンアメリカフェザー級王座
- WBC全米フェザー級王座
- WBC世界フェザー級王座
脚注
- ^ “10.World Championships - Houston, USA - August 20-27 1999”. Amateur.Boxing.Strefa.pl. 2014年6月8日閲覧。
- ^ オルティス、ポンセら豪快KO勝利!? ボクシングニュース「Box-on!」2010年9月19日閲覧
- ^ ガンボア負傷判定勝ち フェザー級卒業!? ボクシングニュース「Box-on!」2011年9月12日閲覧
- ^ ジョニゴン陥落! ポンセ=デレオンに負傷判定敗!? ボクシングニュース「Box-on!」2012年9月18日閲覧
- ^ マレス3階級制覇 デレオン倒す!? ボクシングニュース「Box-on!」2013年5月5日閲覧
- ^ Daniel Ponce de Leon retires after KO loss Fightnews.com 2014年6月8日
関連項目
外部リンク
- ダニエル・ポンセ・デ・レオン (@DanielPoncedeL1) - X(旧Twitter)
- ダニエル・ポンセ・デ・レオンの戦績 - BoxRec
空位 前タイトル保持者 ホアン・グズマン |
WBO世界スーパーバンタム級王者 2005年10月29日 - 2008年6月7日 |
次王者 ファン・マヌエル・ロペス |
前王者 ジョニー・ゴンサレス |
WBC世界フェザー級王者 2012年9月15日 - 2013年5月4日 |
次王者 アブネル・マレス |
固有名詞の分類
- ダニエル・ポンセデレオンのページへのリンク