タルボットとダゲールの特許に対する違い
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「ウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボット」の記事における「タルボットとダゲールの特許に対する違い」の解説
タルボットがカロタイプの特許を取った理由の一つは、ライバルのダゲールが写真技術を開発し続けていることを意識していたため、多額の研究費を必要としていたからである。タルボットは当初、数年間にわたり数千ポンドの資金を投じてなお写真技術の詳細を得られず、少なくない資産を失ったことも特許料徴収の背景にある。 彼は「自然の鉛筆」と呼んだ自身の写真術を実現するにあたり、当初直接印画紙を用い、光源と印画紙の間に物体を置くことで印画紙に物体の黒白反転の陰画を残すことに成功した。カロタイプはこれを洗練させた技法で、像(ネガ、陰画)を直接写した陰画紙の下に、印画紙を敷いて像(ポジ、陽画)を焼き付ける方式だった。ハーシェルの示唆で、チオ硫酸ナトリウムを張った桶の中に印画紙を浸すことで感光を止めて像を定着する方法も確立された。ネガポジ式の利点は、写真は何枚でも必要なだけプリントすることが出来る点にあった。ダゲレオタイプは銀板に直接像を残すもので、後のポラロイド同様一点のみで複製は不可能であった。一方でカロタイプは、像を鮮明にするために陰画紙に油を塗るなどの工夫をしていたが、繊維で出来た紙の粗さでは、金属板を使ったダゲレオタイプの像のシャープさにはかなわなかった。 両者の欠点を解決したのが、ダゲールが死んだ1851年に完成した湿式コロジオン法で、ネガ部分に、紙を使うカロタイプの代わりにガラスを用いることで、複製も製造でき、しかも鮮明な像を得ることができた。 一方、ダゲールもタルボットがカロタイプの技術を発表した後、研究を前進させていることを意識していた。彼は特許を政府に買い取ってもらい、研究をフランス政府が支援し彼自身は年金をもらうようにした。共同研究者ニセフォール・ニエプスはすでに亡く年金を受け取れなかったが、彼の息子で共同研究を引き継いだイジドール・ニエプスが年金を手にした。ダゲールは必要な研究費を生涯受け取る年金から払うかわりにダゲレオタイプを全世界的に特許なしで公開し、普及させることに成功した。この無料使用はイギリスにおいてのみ適用されなかったが、その措置はダゲールが死にダゲレオタイプが衰える1861年ごろまで続いた。
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