タサハラ禅マウンテンセンター創設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 08:25 UTC 版)
「サンフランシスコ禅センター」の記事における「タサハラ禅マウンテンセンター創設」の解説
そして1966年に、鈴木と高弟のゼンテツ・リチャード・ベーカーは、カリフォルニア州ビッグ・サー海岸のロス・パドレス国立公園内のタサハラ温泉にその場所を選んだ。翌1967年に、ベーカーらの募金活動によって、その土地を購入した。そうして設立されたタサハラ禅マウンテンセンター(禅心寺)は、アメリカで最初の禅の修行道場となった。 1967年には、鈴木の助手として乙川弘文が日本より渡来、1970年まで禅心寺に駐在し、1971年から、ロスアルトスのハイク禅センターの住職へと赴任した。彼は1978年まで住職を務め、1979年には、ロスガトスの慈光寺に転任した。 その後の助手として1969年から1971年の間、片桐大忍が渡来した。片桐は1972年にミネアポリスにミネソタ禅センターを創設した。 1969年になると、桑港寺の総代会は、鈴木が西洋の参禅者たちにかまけ過ぎだとして、住職からの辞任を迫った。数ヶ月後、鈴木と西洋の参禅者たちは、300ページ通りに建物を購入して、シティ・センターとしてそこに移動した 。 1970年には、鈴木はベーカーを西洋系アメリカ人で唯一の法嗣とした。寂照・ビル・クォンも法嗣になる予定だったが、鈴木の死後により認定されず、鈴木の息子の鈴木包一によって認定された。 後に多くの言語に翻訳された『禅マインド・ビギナーズマインド』の刊行直後の1971年12月4日、鈴木がガンにより67歳で遷化した。鈴木は12年という短いアメリカ滞在期間であったが、アメリカでの曹洞禅を確立させた。
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