ゾシマと修業女との出会い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/28 14:33 UTC 版)
「エジプトのマリア」の記事における「ゾシマと修業女との出会い」の解説
パレスチナの聖ゾシマは修道士として修道院で修行を積んでいたが、天使の告げに従い、より厳しい斎 (ものいみ)を行う為、また偉大な長老に会う事を求めて、ヨルダン川の傍にある修道院に移った。この修道院では大斎(おおものいみ…復活大祭前の、食品制限を伴う心身の修養期間)が始まると、修道士達が互いに罪を赦し合った後に荒野・砂漠に出かけて行き、復活大祭まで孤独に祈り、修行を行う習慣があった。食物は最低限のものだけを持ち、それが尽きると野原の食べ物(木や根)を食べる者も居たという。 こうした修行をするにあたって、修道士達は互いの修行内容の詳細を尋ね合わないしきたりであった。修行内容を誇って傲慢に陥ったり、他者の緩い修行内容を咎めるという他者の罪を論うという罪に陥ったり、自分の修行内容を他者と比較する事で傲慢もしくは卑屈になったりするという、そうした様々な弊害を生まないためであった。 多くの年がそれから過ぎたある年もまた同様のしきたりに従い、老いたゾシマは荒野に出ていた。ゾシマは荒野の奥深くにまで足を伸ばせば、より偉大な長老に会えるだろうという期待をしていた。荒野に出て20日目に、涸れた小川の傍で第六時課(修道院における昼の奉神礼)の聖詠と祈祷文を詠んでいると、右の方に人影がある事にゾシマは気付いた。悪魔かと思い恐怖に耐えつつ祈祷文を最後まで詠み終えてから人影の方をよく見ると、砂漠の灼熱の太陽によって肌は黒ずみ髪は白くなっては居たが、それは裸の人間であった。 20日間も生き物を見ていなかったゾシマは喜んでその人間の元に走って近寄ろうとしたが、彼方の裸の人間は逃げ出した。しばらく老いも忘れてゾシマは追いかけたが、この人物にゾシマは追いつけなかった。息の切れたゾシマが「罪深い修道士(である私)からなぜ逃げるのですか。主の為にあなたの祈りと祝福を与えて下さい」と呼び掛けると、彼方の人物は「ゾシマ長老よ」と言い、自らが裸の女である事を告げ、裸であるが為にそのままでは近寄ることが出来ないので、自らの為に祈ってくれるのならば上着を与えて欲しいと答えた。ゾシマは名乗っていないのに自分の名を彼女が知っていた事に驚き、「この修業女は主から洞察力を得ているに違いない」と考え、上着を遠くから投げ、修業女に与えた。 その後、互いに謙遜する言葉を述べ合いながら、祝福を相手から得ようとする問答が長い間続いた。やがて彼女がゾシマが司祭職にある事を述べ、ゾシマが彼女を祝福すべきであると言った。それに対しゾシマは、名乗っていないのに自らの名を知っており、自らが司祭である事まで知っていた彼女こそが自らを祝福すべきであると譲らなかったので、彼女はゾシマを祝福した。 彼女は祈る際に地面から50センチメートルほど浮き上がっていたという奇蹟を、教会の聖伝は伝えている。
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