ソロシンガーとしてデビュー
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「岩井宏」の記事における「ソロシンガーとしてデビュー」の解説
全日本フォークジャンボリーには、1969年の第1回から参加。春歌などもソロのレパートリーとしていた。 1970年8月の第2回全日本フォークジャンボリーで、高田渡「銭がなけりゃ」、加川良「教訓Ⅰ」「その朝」「赤土の下で」をサポート、さらに「この世に住む家とてなく」を高田渡、加川良ともに演奏。この頃より、同じアート音楽出版の社員であった部下の加川良とともに、高田渡のステージをサポートすることが多くなる。 同年10月には、京都と大阪で前年に開催された第2回フォーク・ジャンボリーの記録映画「だからここに来た」の上映の後のライブに遠藤賢司、加川良、高田渡と出演している。LP『第2回全日本フォーク・ジャンボリー1』が日本ビクターから出たばかりで、知名度も上がっていく。 1970年に始まった、大阪 MBS (毎日放送)の深夜ラジオ番組「チャチャヤング」、加川良とともに水曜日のレギュラーとして出演した。(火曜日は、西岡たかしが担当)この年の暮、「岡林信康コンサート」に、高田渡、加川良ともに出演した。このときの演奏は秀逸で、すでに頓挫しかけていた岡林を完全に呑み込んでいる(近年、ディスク・ユニオンによりCD復刻された)。 1971年8月の「第3回全日本フォークジャンボリー」でも、サブステージにて、高田渡の「自転車にのって」「生活の柄」を加川良とサポート。また加川良の「教訓Ⅰ(この時、加川は「教訓Ⅲ」と呼んでいる。)」もサポート。ソロでも自作の「かみしばい」、「サラリーマンをバカにしちゃダメよ」、「赤ん坊さんよ負けるなよ」の演奏が実況録音盤に収録されている。高田渡、加川良と3人での演奏が多く、客席が笑いに包まれることから「3バカトリオ」と呼ばれる。 また、福岡風太、阿部登らが中心になって主催された1972年の春一番の幻と呼ばれた10枚組LP「1972春一番BOX」を吉野金次と共に自主制作した。 1973年7月25日、加川良・中川イサトらのサポートでベルウッドより、アルバム『30才/岩井宏』を発表し、プロとしてのシンガー、音楽ディレクターとしての活動を停止。 なお、アルバム『30才』は、生まれてきた息子である聡に捧げられたアルバムであった。
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