ソロシンガーとしてデビューとは? わかりやすく解説

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ソロシンガーとしてデビュー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/05 08:51 UTC 版)

岩井宏」の記事における「ソロシンガーとしてデビュー」の解説

全日本フォークジャンボリーには、1969年第1回から参加春歌などもソロレパートリーとしていた。 1970年8月第2回全日本フォークジャンボリーで、高田渡「銭がなけりゃ」、加川良教訓Ⅰ」「その朝」「赤土の下で」をサポート、さらに「この世に住む家とてなく」を高田渡加川良ともに演奏この頃より、同じアート音楽出版社員であった部下加川良とともに高田渡ステージサポートすることが多くなる同年10月には、京都大阪前年開催され第2回フォーク・ジャンボリーの記録映画「だからここに来た」の上映の後のライブ遠藤賢司加川良高田渡出演している。LP第2回全日本フォーク・ジャンボリー1』が日本ビクターから出たばかりで、知名度上がっていく。 1970年始まった大阪 MBS毎日放送)の深夜ラジオ番組チャチャヤング」、加川良とともに水曜日レギュラーとして出演した。(火曜日は、西岡たかし担当この年の暮、「岡林信康コンサート」に、高田渡加川良ともに出演した。このときの演奏秀逸で、すでに頓挫しかけていた岡林を完全に呑み込んでいる(近年ディスク・ユニオンによりCD復刻された)。 1971年8月の「第3回全日本フォークジャンボリーでも、サブステージにて、高田渡の「自転車にのって」「生活の柄」を加川良サポート。また加川良の「教訓Ⅰ(この時、加川は「教訓」と呼んでいる。)」もサポートソロでも自作の「かみしばい」、「サラリーマンバカにしちゃダメよ」、「赤ん坊さんよ負けるなよ」の演奏実況録音盤に収録されている。高田渡加川良と3人での演奏多く客席笑い包まれることから「3バカトリオ」と呼ばれるまた、福岡風太阿部登らが中心になって主催され1972年春一番の幻と呼ばれた10LP1972春一番BOX」を吉野金次と共に自主制作した。 1973年7月25日加川良中川イサトらのサポートベルウッドより、アルバム30才/岩井宏』を発表しプロとしてシンガー音楽ディレクターとして活動停止。 なお、アルバム30才』は、生まれてきた息子である聡に捧げられアルバムであった

※この「ソロシンガーとしてデビュー」の解説は、「岩井宏」の解説の一部です。
「ソロシンガーとしてデビュー」を含む「岩井宏」の記事については、「岩井宏」の概要を参照ください。

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