ソニーとプルデンシャル、合弁解消とそれぞれの道へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/19 21:25 UTC 版)
「ライフプランナー」の記事における「ソニーとプルデンシャル、合弁解消とそれぞれの道へ」の解説
悲願であった金融業への進出を果たしたソニーの次の目標は金融の多角化であった。また1987年に外資単独参入の解禁が始まるのに合せて米国プルデンシャルはソニー・プルデンシャル生命から坂口陽史(当時社長)を、新会社プルデンシャル生命の社長として擁立。ソニー生命からわずか15名で独立。米国プルデンシャル・ファイナンシャルの100%出資を受けて日本での単独営業を開始する。 1987年9月、これに伴いソニー・プルコ生命保険(プルコは米国プルデンシャルの子会社)へと改称。1991年4月からは現在のソニー生命へと改称。1996年4月までに出資比率を徐々に下げ、ソニー100%の子会社として完全独立を果たす。これに伴い、ソニー生命とプルデンシャル生命は生い立ちを一にしながらも現在は資本関係のない独立した会社となる。 その後、ソニーは保険業法の改正に合わせて1998年にソニー損害保険、2001年にソニー銀行、2004年に金融事業を統括するソニーフィナンシャルホールディングスを設立。2007年にはソニーバンク証券を設立して、戦後日本で初めての銀行・保険・証券をグループに保有する金融グループとなった。※その後、ソニーバンク証券は2013年1月、マネックス証券に吸収合併された。 「ソニーグループにいつか金融機関を」という盛田昭雄の見た白亜のビルの夢を実現するように2006年10月にソニー生命は東京都港区港南一丁目にソニーシティ(ソニー本社ビル)を建設し、数十か所に分散していたソニーグループのオフィスが集約された。2014年には経営難が続くソニー本社の土地もソニー生命へ売却され、親会社を支える構図となった。
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