ゼーロウ高地-ベルリン攻略作戦
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「オーデル・ナイセの戦い」の記事における「ゼーロウ高地-ベルリン攻略作戦」の解説
詳細は「ゼーロウ高地の戦い」を参照 第1白ロシア方面軍の最初の攻勢は惨憺たるものだった。ハインリツィは攻勢を予期し、赤軍砲兵が蹂躙する直前に部隊を最前線の防衛線から下がらせていた。 ドイツ軍の目を眩ますために用意されていた143個のサーチライトは早朝の霧により光が拡散し、進撃しているソビエト赤軍将兵の姿を浮かび上がらせた。沼地と化した大地(ドイツ軍によりオーデル川が氾濫させられていた。)は進軍への大きな障害となり、さらにドイツ軍による対抗集中砲撃でソビエト赤軍は多大な犠牲者を出した。遅々として進まない第1白ロシア戦線の攻勢に失望したソビエト赤軍最高総司令部はジューコフに早急に対応するよう命令した。そこでジューコフは予備部隊を投入せざるを得なくなったが、それはその後の計画に影響した。夕方までに6キロ進んだ部隊が一部にあったが、ドイツ軍はほとんど損害を出していなかった。 ジューコフはゼーロウ-ベルリン攻略作戦がうまく進んでいないことを報告せざるを得なかった。スターリンはジューコフを激励するために、コーネフの戦車部隊に南方からベルリンへ進軍する許可を与えることをほのめかした。ソビエト赤軍による集中支援射撃は効果をもたらした。4月17日の夕暮れ時点では第1白ロシア方面軍の正面のドイツ軍戦線は破られずにいたが、かろうじて持ちこたえている状態だった。 18日の夕暮れまでに第1白ロシア方面軍はドイツ軍最終防衛線に達した。4月19日、第1白ロシア方面軍はゼーロウ高地におけるドイツ軍の最終防衛ラインを突破、第1白ロシア方面軍の前面には戦力を減じたドイツ軍しか存在なかった。ゼーロウ高地を防衛していた第9軍(司令官テオドーア・ブッセ)と第4装甲軍の北面の残存部隊は第1ウクライナ方面軍による包囲の危機に瀕していた。第1白ロシア方面軍がベルリン包囲を開始した時、第1ウクライナ方面軍はベルリン市内への進撃を開始していた。 第2白ロシア方面軍はベルリン北方への攻撃を開始した。4月20日、第2白ロシア方面軍はシュテッティンとシュヴィーツの間でヴァイクセル軍集団の北方を防衛していた第3装甲軍への攻撃を開始した。 4月22日、第2白ロシア方面軍はオーデル川東岸15キロに橋頭堡を確保、第3装甲軍と激しい戦闘となった。 Ziemkeによれば、4月22日までに第2白ロシア方面軍はオーデル川東岸、15キロ地点に橋頭堡を確保、第3装甲軍と激しい交戦したとされている。
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